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より美しく、より自分らしく【前編】

この記事の執筆者

グランプロクリニック銀座

1997年に南仏へ、2000年よりパリ在住。大学病院などでレーザー治療をはじめ美容皮膚科学、抗老化医学などを研修。また同時に、アロマテラピー・フィトテラピーなど、ハーブを用いた自然療法・予防医学を積極 ... [続きを見る]

自己紹介

院内処方でCBD(麻の成分、カンナビジオール)軟膏はじめました。慢性湿疹、痒疹、アトピー性皮膚炎等で ... [続きを見る]

さて、突然ですがあなたは「美しい」という言葉からどのようなものを思い浮かべますか?

この質問に対するご返答は、人によってだいぶ変わってくるかもしれません。当ウェブメディアでは、これまで主に専門家による栄養素の補充に関する情報を配信してきました。コロナウイルス感染拡大が収まる気配のない中、自身の健康を守るための一手段として、オーソモレキュラー医学的対策を一人でも多くの方に周知したいと考えています。

そして、この体の健康と同様に守らなければいけないのが、心の健康です。そこで今回は、日本女性の心の健康と美意識に焦点を当て、多くの著書を執筆されている岩本 麻奈先生(日本コスメティック協会名誉理事長)にお話を伺う機会をいただきました。

岩本先生が長年住んでいらっしゃったフランスとの違いを織り交ぜながら、女性のみならず、日本人がより自分らしく、自信を持って生きるためのヒントが散りばめられた内容となっています。

世間は「専ら視覚による」社会

岩本:コロナウイルスの脅威がなかなか収まらない今日、情報の多くは非接触型の視覚によるものが中心となっています。これまで「女は見た目八割」などと言われてきたのです。今後さらに視覚情報に傾斜すればどうなっていくか、案じられる方もいらっしゃるでしょう。世間が視覚的美しさに傾斜すればするほど、その美しさは実体から遊離していきます。

リアルな体感とはなにか。そこで“触覚”に注目してみたいのです。皮膚科専門医という立場からも依怙贔屓したい。そもそも視覚は脳の仮想現実とも言うではありませんか。その点触覚の圧倒的な強みとは、リアルに感じられること――「肌が合う」「心を掴む」「琴線に触れる」、そういった表現がストンと腑に落ちる。美を官能的に取り込むことに長けている日本人には、元々こうした感性が備わっていると思います。この系譜は川端康成・江戸川乱歩・高村光太郎・三島由紀夫・安部公房らに連なっています。

視覚と聴覚・触覚

岩本:外見的な風貌が美しさを構成する重要なポイントであるのは否定しません。時代を超えて人々を魅了してきた美術作品の数々は、眩い視覚的な美しさを放っています。聴覚から感じ取る美しさもあります。音楽美学という学問分野では音楽における美を考察します。声から魅了されることもあります。天使のように清らかな声、悲しみを紡ぐハスキー声、舌ったらずの甘えた声、それぞれに魅力があります。視覚と聴覚という2つの感性は、人間にとって共有しやすく、捉えやすいものです。これに対して、触覚からの情報は獲得する機会が乏しいのです。視覚や聴覚と触覚の違いは現実性の乖離——実際に接触しなければゼロということです。

今の日本社会、五感の中でも視覚情報によって価値判断される割合がかなり優勢です。エイジングに関する日本人(こと女性において)の自信のなさは、視覚優勢の社会的価値観が影響しているところが大きいように思います。さらに踏み込むと、社会的差別から性差別・人種差別・年齢差別など差別のほとんどが、すべて視覚情報である外見から生まれています。その情報は大きなものであることは確かだとしても、そこに拘泥していると本質を見失う危うさを秘めています。

――だからこそ、バランス感覚を保つ。

そのためにも、他の感覚をそばだてて感性を磨くことは大切なことと思います。

現代日本における美意識

岩本:「年齢に抗う」という言葉があります。年を重ねる毎に肌の衰えが気になるものです。そこに私のやっている美容皮膚科や抗老化美容のニーズがあるわけですが、見た目特化型の美しさを追い求めすぎるのは悲劇的です。

SNSには極端に画像処理した顔や原型を留めない美容整形顔に、「可愛すぎる」「まるで天使」といった賞賛肯定のコメントが溢れています。本当にそう思っているのでしょうか?そうであれば危険です。現代ニッポンの見た目、いや見たこともない仮装を実体視して現実逃避する悦楽。その行く先は絶望でしかないように思われるのです。

フランスとの違い

岩本:日本のKAWAII(カワイイ)文化は「男性好み」です。「可愛い」の褒めことばには、媚びがあり、演じられる幼さが見え隠れします。男尊女卑を俗なことばに直せば「女はバカで若いのに限る」です。社会にある間違った思想が、女性たちの(ごく一部であっても)美意識や美しさの概念の中に、紛れ込んでいるとすれば問題は深刻です。私は怒りを覚えるとともに、悲しみで心が沈み切なくなります。それでも一歩踏み出さなくてはなりません。幼い女の子たちの未来のためにも、です。

媚びた可愛らしさをよしとする発想は、長年暮らしていたフランスでは考えられません。フランスは成熟社会。熟しているが甘すぎない、シニカルでシビア、そしてメローな価値意識の社会です。例えばフランス女性に憧れて、彼女らの立ち居振る舞いを模倣実践したとしてもメッキはすぐに剥がれます。方向性が幼児退行気味の状態で真似をしても、限界があるのです。根底にある美へのベクトルこそが大事です。そのことに思考が至り意識変革に繋がったら、一気に問題は氷解して成熟社会の門が開かれることとなります。

タイプ分けする日本人、多様性を受け入れるフランス人

岩本:日本人は個人をカテゴライズするのが好きですね。血液型占いや星座による性格診断などがその代表例です。恋愛では「どんなタイプが好きか」とか「モテるタイプ」などについて熱く語ります。自らがどこに属しているか、あるいはどこに属したいかといった帰属意識も高い国民なのでしょう。その点、フランスは百花繚乱です。ベースが個人主義、しかも多様性のある国家なので分類してもしようがなく、てんでバラバラのまま放置という状態。

この違いはどこからきたのか?

一つに、日本人の「外形的相似性」があげられます。日本だけでなく韓国・中国・ベトナムなど東アジア諸国民の区別も、欧米人には難しい。たしかに母語を口にしなければ、私たちもどちらの国の人かわかりませんよね。その点フランスは、国籍は出生地主義であり歴然たる多民族国家です。

考えてみれば、タレントさんやアニメのヒロインたちがよく似た顔をしているのも、日本人の趣向の偏りによるものかもしれません。アニメのヒロインは、童顔で目が大きく色白の肌が圧倒的に人気です。これも近代以降の“西洋かぶれ”あるいはネオテニー(幼形成熟)ですね。江戸時代まで美人の典型は出雲美人でしたが、これはすなわち色白豊頬のふっくらした楊貴妃型の大陸美人です。時代が変われば美人の王道も変わります。明治以降は秋田美人、つまりミロのヴィーナス型の西洋美人タイプが美人の典型となりました。その時代に豊かで強い国に追随するのです。

フランスと日本、軸の違い

岩本:もう一つ、日本人とフランス人における思考における「XY軸」の話をしましょう。フランス人の座標軸の中心(X軸とY軸の交点)は「自分」です。では、日本人における座標軸の中心はなにか? それは「世間」です。言わずもがな、この違いは圧倒的です。

この頃、日本人はよく、コスパがどうのこうのと声高に話しています。世間の風潮や軽薄なメディアの影響があるとはいえ、「結婚して子どもを生むと独身時代よりもコスパが悪くなる」など、人生を損得勘定で語るなんて世も末です。義理と人情で人生を語る方がまだ潔い。実際そうはいかないとしても、その方が“粋”ではありませんか。これに反して“無粋”と言えば、ちょっとした有名人の不倫スキャンダルをメディアがこぞって取り上げる。本当に品がないですね。

不倫問題に物申す

メディアによる不倫報道について、どのように思われますか?

岩本:不倫そのものを擁護するつもりはありません。でも、皆が内面に持っている下品な心情を暴露される“報道”って、実は「ほら見ろ、お前が一番ゲスだ」と読者を嘲笑している訳なんです。報道する側もされる側も醜く、読む側に至っては救いようのない醜さしかない。また、不倫スキャンダルが浮上すると、妻は被害者に仕立て上げられて世間の同情を買うのが定型です。そして、フリン男女は「人でなし」と小石を投げられます。その石の当たり具合、これは色メガネかもしれませんが、私はフリン女性に対してより厳しい当たり方をしているような気がします。

戦前の刑法にあった姦通罪は、夫のいる女性とその相手男性が罰されるものですが、妻のいる男性は誰と何をしてもお咎めなしでした。「妾持ちは男の甲斐性」だなんて! 世間暗黙の不条理に対しては、もっと怒るべきです。不倫記事の書き手が気になり知り合いに訊いたところ、私よりずっと若い方で、「昔と何も変わってないのね」と肩を落としたこともあります。

浄穢不二(じょうえふに)。人は、心も体も浄穢の混ざり合ったままで生きています。清浄な悟りと不浄な煩悩は別の存在ではなく“WITH”(コインの裏表)なのです。悪は人の外ではなく、内にあります。誰しもが皆そうなのです。強さはいつも善ではなく、弱いからこそ悪を為さないこともあります。人を愛するということは、それらすべてを抱え込むということです。不条理に涙する経験は、かけがえのない、一度きりの人生の彩りなのです。

ちなみに不倫について、フランス人たちに立ち位置を訊ねたことがあります。
すると、その答えは「大人の責任をとって、心のまま正直に生きる(次に行く)」でした。「他人の不倫については、どう?」の問いには、「大統領やトップスター(ハリウッドスター)並みのスキャンダルなら、少しは気になるかもしれないね」という言葉が返ってきました。

女性の年齢と立ち位置

岩本:私にもいろいろ苦手なことがありますが、その一つが世の中に流布する“恋愛マニュアル”(このしぐさがモテるとか、男性が喜ぶ「さしすせそ」といった)もの。言うなれば現代版『女大学』(江戸中期の頃から普及した女子への教訓書)ですね。女三従の教えとは「幼きは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」こと。

一生の間じゅう上目遣いおどおど暮らして、広い世界のどこにも安んずる家がないことから「女三界に家無し」とも言ったのです。男性の喜ぶように媚び、喜んでいただいて貰ってもらう。それを目当てにする恋愛マニュアルなんて、虫酸が走るというものです。そもそも「こうすれば喜ぶ」なんて、男性をもバカにしていると思います。

現代フランスは日本よりはるかに男女平等社会です。ですがそれも最近のこと、つい100年前の女性は、コルセットに身体を締め付けられることを受け入れ、それと同じ感覚で男性に仕える存在でした。1968年のパリ五月革命は大学の民主化運動から、伝統的な文化や政治体制に対する異議申立て、そして社会変革闘争に発展しました。この“革命”を機に、フランス女性は男性と法律的にイーブンとなり、妻は夫の許可なく銀行に口座を持って自分の財産を処分できるようになりました。同時代の日本がまだマシだったのです、GHQがくれた無知へのギフトであったにしても。

日本における学校教育は明治近代化から始まりました。富国強兵のスローガンとした近代国家は、強力な中央集権体制と上意下達の軍国体制の完整によってもたらされます。女子教育は高等女学校における良妻賢母教育が典型です。教育勅語のイデオロギーは封建社会の儒教であり、女子には知的教養不要かつ社会活動厳禁、同時に人的資源再生産と家庭労働励行が強制されました。このPTSDは、日本女性に幾世代にもわたって受け継がれ、残念なことに通奏低音となって現代まで続いています。アンコンシャスバイヤス(無意識の偏見)からの解放は、自らの覚醒によってしかなされません。本当の意味の「美しさ」に辿り着くかが最後のキーかもしれません。

とはいえ、「年を重ねても美しくありたい」という考え方は肯定されるべきです。

そのためにも「芯」を固めましょう。意識をしっかりと定める。でなければ、揺れて動き不安定で脆いものとなってしまいます。私の近くにも、キレイで美魔女と評判の方が多くいらっしゃいます。外見上は輝かれている彼女たちですが、その心の中が心配なのです。意識下では、まだ男性目線の「女はつまるところ、若さに限る」の信心が頑固に根付いたままなのではないか、と。年齢に対する劣等感を払拭できない限り、永遠の負け戦です。

加齢への恐怖——フランス女性はこの部分から解放されている方が多いと感じます。無知のギフトでは権利の尊さをわからないのか、意識的にもぎとった権利こそ美しいのか、判断は難しい、けれど年齢は経験を武器にしてくれますよ。

フランス女性は皆“Madame”

岩本:女性の敬称についてのお話です。英語表現においては、女性の敬称がMs.(ミズ)に一本化されたのは80年代半ばでした。

フランスはどうだったのでしょう。大国フランスはのんびりしていたのですが、21世紀になってやっと動き出しました。これまで女性の敬称はMadame(マダム:既婚及び年長者)とMademoiselle(マドモワゼル:未婚あるいは愛らしいお嬢さん)が使われてきました——おしゃまな女の子に“マドモアゼル”と呼びかけるのはマナーだったのです。

英語ではMrs.とMissの折衷案でMs.となりました。簡単即決ですが、フランスは自国語に誇りを持っていますから、子どもみたいなことはしません。どちらを選ぶかです。そして、ついに「Madame」に統一されたのです。

フランス女性にとって、Madameは褒め言葉でしかありません。既婚者や年長者であることよりも、何事もご存知でエスプリも長けていらっしゃる――人生の先達者であり、美と愛の深き理解者への尊称と思ってください。この点からも年齢に拘泥しない国民性あるいは文化感覚が伺えます。目先の利益に一喜一憂しない、刹那的娯楽に狂奔しない、人間の文明を信頼する意識といったものかもしれません。

日本では「JK」「JD」「OL」さらに「JS」に至るまで、女性の年齢による仕分けが溢れています。“おばさん”という呼び方もあります。年配の女性に「おばさん」と呼びかける若い女性もいらっしゃいますが、今から自分自身の未来を否定しているのかとガッカリしてしまいます。

—この服を着られるのは何歳までといった目に見えない制約が渦巻いていると感じます。 

岩本:日本で生活していると「年甲斐もなく」という言葉をよく耳にします。年甲斐もなくヘンな恰好しちゃって、とか。これは(この年頃なら)(この階層なら)「こうあるべきだ」さらに「かく表現すべきだ」という意識、日本人お得意の一致団結箱弁当である横一線同調の強制です。大国や長い歴史のある国は鷹揚に構えています。そんなせせこましいことに気を遣いませんもの。肩をほぐしたらどうでしょうか。あれ、ニッポンは長い歴史をもつ文化大国だったんですよね?

ビューティーレベルと年齢は比例せず

岩本:年齢を重ねても「美しさ」が消えることはありません。美しさの意識とは、美しいか美しくないかを区別するだけの美意識とは違います。美しいものを選別して「自ら美しく生きる意識」のことです。女性が自信を持って生きていくために、欠かすことのできないものと考えます。

美しいものとはどんなものでしょう? 仏教では感覚器官を眼耳鼻舌身意(げんにぃびぃぜつしんい)とし、これらが色声香味触法(しきしょうこうみしょくほう)を受容判別していると教えます。感覚的美しさは色という語に象徴されます。色気、色っぽい、色香、声のつや…。色とは他者に対する自分の存在力、魅力と言い換えてもいいでしょう。

しかし、色だけが美しいものではありません。年を重ねれば色の美しさは衰えます。では、生き方の美しさはどうでしょう。正と邪、善と悪においては正や善が美しいとなります。その判断は主観だけ、自らを信じて恥じることのない自分であれば「美しい」と思えるのです。

他人に判断を委ねてはいけません。「とにかく若く見られたい」と思うことは、自己評価を他者に丸投げするのと同じこと。自分で自分を苦しめて楽しい訳がありません。「若見えしてステキ」の言葉を嬉しい、と聞くのはハテナマーク。若さに固執してどうなるのでしょう。万有引力に逆らう蛮勇でしかありません。

出所進退の美しさ、挙措動作の雅、たたずまいの静寂、凛然、和敬etc。若さに魅力がないとは申しませんが、唯一無二の魅力を確立するのは経験の蓄積があらばこそ!日本女性の皆様が“年齢”という呪縛から解き放たれて、是非とも自分らしい幸せな人生を送っていただきたいのです。





『より美しく、より自分らしく』前編は以上となります。
後編では、フランスと日本における女性の年齢の捉え方、「人」としての美しさはどこから滲み出てくるのか、岩本先生が考えるこれからの時代に後悔しないための生き方について等、お話しいただきました。9月7日に配信いたしますので、次回もどうぞお楽しみに!