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バランスを取ることは本当に正しいのか

この記事の執筆者

草加ファミリー歯科・矯正歯科クリニック

臨床歴13年。配偶者が原因不明の体調不良で倒れ、9年間の闘病生活を送る。100件以上の病院を巡り、30種類以上5500錠以上の薬を処方されても治らなかった症状がたったの7日間で全快した経験をきっかけに ... [続きを見る]

なぜ、人はバランスを取りたがるのでしょうか?

たしかに逆の発想をすることは有意義なこともありますが、重さを考えずに支点からの距離を同じにしても均衡とはなりません。私自身「バランスよく」という言葉と戦い始めてから随分と時間が経ちました。

バランスと聞くとやじろべえのように調和の取れている様子を思い浮かべるかもしれませんが、自然界でそのような現象はむしろ不自然である場面が多いものです。とりわけ人間の身体ではこのバランスが害にさえなってしまうことだってあるかもしれません。

そこで私は「敢えてバランスを崩そうではないか」と主張するのですが、今回はその理由について述べたいと思います。

バランスを取ることは本当に正しいのか

何事もとにかく「バランスよく」生きようとしているようではまずい。

私たちは、食事や心、身体、さらには人間関係に至るまで広範囲にわたりバランスが保たれている状態を好ましいと思いがちです。バランスよく緑黄色野菜を食べ、運動を怠らずに前向きな生活を送る。これはまさに典型的かつ理想的な暮らしぶりであり、一見たしかに健全に見えます。 

ところが、血液検査をしてみると意外にもその数値のバランスがよくない場合が見受けられます。この時、掘り下げて詳しく話を聞いてみると、食欲不振や便秘・睡眠不足・疲れがあると訴える方がいらっしゃいます。時には顔色の悪さや目の下のクマが目立つ方も。当の本人からすればそれが日常であるため「自分は健康だ」と言いますが、未病を思うこちらとしては気が気ではありません。

バランスと幸福度は比例しない?

このように、バランスの取れた生活を目指してみても、得られるのは達成感くらいかもしれません。なぜなら、バランスというものは先ほどお話ししたように身体的なことにつながらない場合も多々あるためです。ましてや精神的な「幸福度」とはさらに関係がないように思われます。

というのも、バランスというもの自体が繊細な性質を持ち、非常に崩れやすいものだから。たいそう大切に扱うものの、いとも簡単に崩れ落ち、さらには「今日はサボってしまった」と自責の念に駆られることもあります。この後悔からも立ち直りにくいものです。また、食事面においては、そもそも“バランスが取れているのかどうかよくわからない”という曖昧さもあります。 

日本ほど食材の種類が豊富な国は少ないですが、どの国でも疾患にかかる割合にさほどの違いはありません。バランスに効果があるのかどうか。精神的なバランスを配慮して「好きなものを食べることが幸せ」と言う人もいます。けれど実際は、その食事を待つことなく間食し、口直しするかのようにデザートを平らげます。 

このような例を思い浮かべると、バランスと幸福度には相関があるのか疑問に感じます。

幸福感とセロトニンの“切っても切れない関係”

バランスが取れて充実した生活を送っている人のみがその対価として幸せを感じているのならいいのですが、ていたらくな暮らしをしている人でもそれなりに幸福だから(その生活を)続けている節があります。

これでは「バランス」の面目が立ちません。

たしかに仕事や何らかの事情があって仕方なく不規則な生活を送っていて、いつかは改善したいと感じている人もいるでしょう。ただ、そのような人も「死ぬほど嫌で、この生活から何としてでも抜け出したい」というほどではなさそうなので、それなりには生活環境に納得している状態なのではないかと窺えます。

これは別の見方をすると、(前者のような)わかりやすく明らかな充実がないと幸福に感じられない人の生活は活動強度が高く、反対に少しのことでも幸福を感じられる人がのんびり暮らしている、ともみえます。

つまり、幸福に対する感受性については前者では小さく後者では大きい、というようにも考えられるのです。そして、この感受性は生まれつき備わっているということも。

例えば、幸福感と関係のある体内物質としてセロトニンがあります。セロトニンは分解されて再吸収が行われますが、その際に関与するものがモノアミン酸化酵素というものです。この酵素の働きが良いと分解が促進されます。その結果、セロトニン量が減少して幸福を感じにくくなってしまいます。この働きは遺伝子レベルで決まっていることで、バランスさえ取れたらどうにかなるものではありません。 

また、最近話題のカンナビノイドに対して、その受容体を産み出すとされる「CNR1遺伝子」。この遺伝子には複数の型があり、CC型などであると幸福感を抱きやすいという報告があります。(1)

要するに、幸福感はバランスの取れた生活によるものではなく、他の要因も多分に影響している可能性があるのです。そして、幸福を感じにくい体質の人が高強度で行動をすることで埋め合わせをしている、とも考えられます。

「心配性な日本人」と「バランス思考」の親和性

さらに、日本人には独特の幸福感があると言われています。文献にもよりますが、遺伝子的には日本人のおよそ80%が心配性であると言われています。反対に南米諸国ではおよそ40%の人がチャレンジ思考の強い遺伝子を持っているそうです。

この遺伝子の傾向により、南米の人たちは挑戦したことに幸福感を抱き、挑戦しなかったことに後悔する傾向があります。それに対して、日本人は挑戦することに不安を感じ、失敗しないことに安心感を抱く傾向があります。

元々このような性質があるために、何か一つに注力しすぎると反対側が手薄になってしまうことで失敗を予感し、不安に感じるのかもしれません。これがこれまで述べてきたバランス思考と上手く馴染むのでしょう。

とはいえ、食事に関しては短絡的に食べたいものを優先する傾向も非常に強いです。ですから、バランスを取るというより“いいとこ取りをしたい”という側面もあるように思います。失敗回避思考のいいとこ取りも、バランスを取ろうとした結果ではないでしょうか。

バランス崩し

私は、拙書『あらゆる不調をなくす毒消し食』の中で、敢えてバランスを崩すことを提案しています。
「不調を招く原因は、頭で考えたバランスが自分の身体に合っていないため。合わないのなら、いっそのこと(身体に合っているもので)偏らせた方がいい」という考えです。

ただ、一般的には普通に暮らしているだけなのに、良くないものに偏ってくることは不思議のようです。そのために色々と誤解を招きました。誤解はされましたが、偏りを重視する機会は私たちに頻繁に訪れます。

例えば、歯科の治療分野には審美歯科というものがあります。言うならば色や形、明るさや大きさなど個性に合わせて様々な基準を駆使して行われる診療です。

その中の一つに「黄金比」というものがあります。歯の幅や長さから歯茎が見える量など、この比率に整えると美しく見えるとされる基準です。それは「1:1.618」という数値です。

人が美しいと感じるものには、このような平衡でない比率があります。審美歯科に限らず、芸術作品などでも黄金比のようなことを聞いたことがあるかもしれません。そして、よく見ていただきたいのですが、1:1のようにバランスが取れているから美しいと感じるわけではないと思うのです。むしろ偏りがあることが多い。

この黄金比のような繊細で不均一な比率は、自然界のあらゆる場面でみられます。その中でも特に多くみられる自然の秩序を「べき則」といいます。(2)(3)

ご存知の方も多いかもしれませんが、べき則は対数グラフを用いて縦軸を数、横軸を大きさとしたときに直線の分布をとるものです。詳細はお調べいただくとして、これは大雑把に言えば「大きな部分があり末端にいくと細かくなる。そして、その代わりに数が増える」という秩序です。このような大きさと数の関係がみられるものが、べき則と呼ばれています。

自然界でみられる現象としては、地震がわかりやすい例です。大きな地震は稀にしか起こりませんが、小さな規模のものは度々起きます。また、川には大きな本流があり、支流に分かれるにつれ次第に小川になります。樹は太い幹があり、枝分かれして細くなっていきます。

このように、私たちが目にする非常に多くの場面で「べき則」は観察されています。また、自然の秩序を織り成すばかりでなく、人間の関わるものにもその秩序がみて取れます。先ほど挙げた美しさなども評価の高い作品になればなるほど、この傾向がみられます。

例えば、絵画。(4) それから、音楽。(5) 人口分布にしても、都市部に人口が集まって大きな集団ができ、都市部から離れると人口を減らしながら拡散していきます。さらには、現代人のメールに関する行動パターンまで当てはまるので驚かされます。(6) 

これは打ち合わせなしに起こるから面白い。それから、人間の身体にある神経細胞の繊維も同様にべき則の秩序がみられます。(7) そしてべき則の動きはなんと脳波にまで。(8)

このように、自然界に留まらずありとあらゆるものにおいて均等なバランスが取られるというのは稀な現象なのです。大きな本流があって細かなその他が複数生じるような「べき則」に従っているものこそが主軸とも言えます。

器ごとに適したものを

では、「べき則」で考えると食事内容はどうでしょうか。

人間の身体の構成費は水分が70%だと言われていて、乾燥させるとタンパク質が60%を占めます。体内の水分は生体反応で生成されたり分解されるので、ただ飲むだけというのは私はあまり支持していませんが、1日に2ℓの水を飲むという健康法もあります。

もし、この健康法を正とするのであれば、水と比しておよそ500g以上のタンパク質摂取も必要となる計算になります。ところが、水については支持を得やすい一方、タンパク質となると「バランスが悪い」という理由からなかなか信じてもらえません。

けれども栄養療法では体重1kgあたり1g以上のタンパク質摂取が望まれていますから、全く見当外れな数値でもありません。そして、敢えてバランスという言葉を使うのであれば、このように個人個人の体の構成比に合わせたものを指すのではないかと思うのです。

喉が渇いた時、水をざるには貯めないでしょう。バケツで水を飲むこともあまり考えられません。普通に考えて、水はコップに注いで飲むものだと思います。器と、その中に入れるものは一致させる。ごく当たり前のことです。

自著『心の不調をなくす毒消し食』では遺伝子変異についても少し触れましたが、この変異によって身体に合う栄養素と合わない栄養素が生じることがあります。もちろん、その時点での臓器の状態もあるはずです。それらを踏まえた「人間」という器に、調整されて適したものを入れる。そして、この時に必要なバランスとは均一なものではなく、べき則に沿っているものではないだろうか。今の私は、そのように考えています。

“偏り”と聞くと躊躇うかもしれませんが、“集中する”と思えばそれほど怖くはありません。

是非一度、雁字搦めのバランス信仰から脱却していただけたらと思います。そのようなバランスの取り方もあるのだと、凝り固まった考えを少しでもほぐしていただきたいのです。





<参考文献>

(1)https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0093771

(2)https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2018-04-02

(3)https://about.yahoo.co.jp/info/blog/20160412/bigdata-report.html

(4)https://www.nature.com/articles/nature05398

(5) https://www.pnas.org/content/109/10/3716.long

(6) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15889093/

(7) https://www.pnas.org/content/109/27/11014.long

(8) https://science.sciencemag.org/content/304/5679/1926.long

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