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日本の米文化の嘘

この記事の執筆者

草加ファミリー歯科・矯正歯科クリニック

臨床歴13年。配偶者が原因不明の体調不良で倒れ、9年間の闘病生活を送る。100件以上の病院を巡り、30種類以上5500錠以上の薬を処方されても治らなかった症状がたったの7日間で全快した経験をきっかけに ... [続きを見る]

日本人は遥か昔、神話の時代から伝統的に米を主食としてきました。

しかし、近年では米に含まれる糖質により体調や精神を悪化させてしまう人が続出しています。これまで何千年もの長い間食べ続けてきたのに、いったい日本人に何が起こったのでしょうか。今回はこの「米文化」について考えてみたいと思います。

「米文化の日本」は本当か?

日本はたしかに米文化の国であったはずです。しかし、不思議なことに現代の日本人の中にはごはんや糖質の摂取によって具合が悪くなる人がいます。とりわけ血糖の調節と精神疾患との関係は深く、大規模な疫学調査からも明らかになっています。(1)

そのため、これらの摂取を控えることで体調が回復したという方にお会いすることも少なくありません。旧来からずっと米を食してきた日本人。それにも関わらず、何故このような事態に陥っているのか?このことについて、今回は私なりに考えてみたいと思います。

米の種類が変わった?

「収穫高を確保するため病気に強くする」「寒さに耐えられるようにする」「より美味しく食べられるようにする」などの様々な理由から、米はこれまで品種改良が繰り返されてきました。

農林水産省のホームページによれば、品種改良が本格的に行われ始めたのは明治時代になってからとのことです。(2) そして、人工交配によって初めて新種が作られたのが大正時代なので、その歴史は100年にも及びます。昭和になってから700種類ほどが開発され、そのうちの300種が現在も栽培されているようです。

ですので我々が食べる米に変化が生じたのは、実はだいぶ昔からのようです。しかし、これでは2000年頃からうつ病などの精神疾患患者が急増したというデータと合致しません。

このことから、米の品種改良と体調の変化には関連がないのではと考えられます。この点に関しては他の作物でも同様ではないかと考えるきっかけになりました。

医療が未熟で病気が発見できなかった?

「これまでの時代にも実は潜在的に多くの病人はいたが、見逃されていたのではないか」という指摘も巷ではよく耳にします。

確かにそのような面もあるでしょう。例えば、古い話では“江戸患い”と呼ばれた病があり、徳川家光もこれにより亡くなったという説もあります。白米食によるビタミン不足。これによって生じる脚気がその原因ではないだろうかと言われています。(3)

それから随分と時が経ち、森林太郎の時分になっても「脚気は伝染病である」とされ、日露戦争では多くの兵が犠牲になりました。(4)

これだけ長い間、白米による栄養失調(と称していいのか)により脚気が見逃され続けてきたというのは、裏を返せば現代との医療の発達の違いにより見過ごされてきたということかもしれません。 

けれども、森の主張の一方で、米主体の食事による栄養失調などが原因ではないかと訴えていた人もいたようです。当時は意見が採用されなかったとはいえ、しっかりと気付いている。そのような人はいつの時代にもいるのですね。

人間の体調が変化した?

日本神話のなかに、皇族の先祖神である天照大神が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に稲穂を授けたという逸話があり、日本は豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と称されます。豊葦原瑞穂国とは豊かな収穫が続く、瑞々しい稲のできる素晴らしい国であることを意味するそうです。

このような神話があるくらいですから、2000年以上は日本人に米を食べる習慣があったと考えられます。また、最近の調査では3000年ほど前の縄文時代には稲作が行われていた証拠が見つかっており、弥生時代に伝来したという説は否定されています。(5)

このような数千年にも及ぶ長い歴史を考えると、日本人に米自体が合わないというのは少々考えにくいのではないでしょうか。

一番気にしたいのは“食べ方”

これまでの考察から、米食は我が国における伝統であり、品種や人間の性質の変化と体調不良との間に関係があるという結論は得られないように感じました。しかし、体型や骨格の変化は明らかに違うものがありますので、耐糖能(血糖値を一定に保つ能力)の変化はあったかもしれません。

そして、おそらく最も影響があると考えられるのが食べ方です。白米は何かしらの問題を引き起こすかもしれません。実際、昭和14年に政府は白米を却下し、七分づき以下でなければ流通しなくなりました。(6)

もちろんこれは戦争による米の節約とも解釈できますが、日露戦争での脚気という苦い思い出も背景にあったのではないかと思われます。その辺りを正確に検証するのなら、当時の米の受給率を追わなくてはいけないかもしれません。

いずれにしても、白米ばかりでは栄養が偏ってしまいます。そうしますと「ご飯も食べてしっかりバランスよく」といった決まり文句は歴史を振り返ると実に怪しいものかもしれません。

私たち日本人の根底には米の文化は確かにあるが、それは「白米」ではなかった可能性が高い

先人の知恵や歴史から学ぶことについての重要性を否定する人は少ないと思います。そうであれば、米との接し方についても同様にお願いしたく思います。

今日これだけ精神疾患の患者が増え、また、肥満にもかかわらず栄養失調の方が増加しているのは食との接し方が大きいはずです。その中でも、米は大切に熟慮されてほしいものです。

習慣にのみとらわれず、改めて考えるべき時が来たのだろうと私は思っています。今回の話をきっかけに一人でも多くの人が食、そして米との向き合い方について再考していただければ幸いです。





<参考文献>

(1)https://jhu.pure.elsevier.com/en/publications/from-population-to-neuron-exploring-common-mediators-for-metaboli

(2)https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1111/spe1_01.html

(3)https://www.maff.go.jp/j/meiji150/eiyo/01.html

(4)https://www.fuanclinic.com/ooi_h/ooi_q57.htm

(5)https://www.komenet.jp/bunkatorekishi/bunkatorekishi01/bunkatorekishi01_3

(6)http://www.eiyotoryoris.jp/articles/1491/

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