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最後の日まで人間らしく生きる権利

この記事の執筆者

ごきげんクリニック浜田山

ビタミンC点滴療法や栄養療法のメッカとも言えるリオルダンクリニック(アメリカ)へ研修のため留学。留学中、米国抗加齢医学会の専門医試験に最年少で合格。また米国で開催される国際学会に多数出席し、世界の機能 ... [続きを見る]

今回のリオルダンクリニック通信では、『ユマニチュード』という医療哲学をご紹介しようと思います。NHKの「クローズアップ現代」や「あさイチ」でも取り上げられておりご存知の方も多いかもしれませんが、今までのケア、ひいては医療の常識を覆す、多くの人の心の希望の光となるまさに革命的な概念です。

ユマニチュードの技術を使うと、数年間ベッドで寝たきりだった患者さんが立ち上がったり、ケアを拒んでいた認知症の患者さんがありがとうと言って微笑んだり、そんな劇的な変化がしばしば起こります。

またユマニチュードを導入している高齢者施設では、犬を飼いたければ一緒に暮らせますし、恋人と同じベッドで寝ても大丈夫です。その場合は140cm幅の大きなベッドを入れます。24時間のうち、好きな時に食事ができるので、夜中にお腹が空いたと感じても大丈夫です。深夜2時にシャワーを浴びたくなれば介助をしてもらえます。そして信じがたいことですが、これを実現しているフランスの介護施設の、入居者数に対する夜勤の職員数は日本の介護施設より少ないのです。

魔法か奇跡のようですが、ユマニチュードは眼差しや言葉、手の暖かさなどで、患者さんにあなたを尊重していますよと優しさを伝えるケアの技術です。患者さんとのコミュニケーションを上手にとり、絆を深めることで、このような様々な「奇跡」を実現しているのです。

例えば卵巣癌の術後の患者さん 168人を集めた研究では、感情的なケアを受けたグループは受けていなかったグループに比べて、術後の生存率が優位に長かったという結果が出ています。つまり私たちは、担に薬を投与するだけでなく(生存率を優位に長くできる薬はなかなかありません!)、患者さんと心を通わせることによって、患者さんの健康に貢献することができるのです。

ユマニチュードとは

ユマニチュードは、フランス語で「人間らしさ」もしくは「人間らしさを取り戻すこと」を意味します。私たちはすでに人間ですが、例えば誰からも必要とされず、誰にも自分の存在を認められてもらえない時、周囲の人間との絆が立たれ、周囲から孤立した状態の時、人間らしさを忘れずに、自分のことを大切に思い生きていくことは困難です。人が自己の尊厳をどう感じるかは、相手から自分に向けられている眼差しによって決まるからです。人間は根本的に自分ひとりでは心身ともに健康的に生きていくことはできません。

ユマニチュードでは、例えば患者さんと水平に正面からアイコンタクトをすることで、平等な関係と、正直さを表し、患者さんに広い面積で柔らかく触れることで愛情を表しますがこれらは全て、「あなたを大切に思っている」という気持ちを、相手の理解できる表現で伝えるために行います。

患者さんだけでなく、医療従事者の為でもあるユマニチュード

当然ですが人間はものではありません。しかし高齢患者、特に認知症の患者さんはもの扱いされる局面が多々あります。驚くべきことに、看護師が入院中の認知症患者に話しかける時間は1日のうち平均120秒、なんとたったの2分間だけだったという調査があります。これは医療従事者が専門的な知識や技術、効率を極めることで思考停止に陥り、医療従事者に都合の良いケア、効率重視のケアを忠実に行った結果だと考えられますが、誰かをもの扱いするとき、そうしている人もまた人間性を失います。

医療従事者が患者さんとコミュニケーションをとり、絆を深めることで、相手からの反応という贈り物をいただくと、ケアをする人のエネルギーとなります。相手から人として認められ、自分も相手を人として認識する。それがユマニチュードの理念であり、そこに価値があります。

赤ちゃんがこの世に生まれた時、私たちは話しかけ、体を洗い、服を着せて見つめます。名前を呼んで微笑みかけます。そういったこちらの愛情に赤ちゃんが反応することで、私たちも幸せのエネルギーを得ることができます。これと全く同じ話です。

看護師の年間離職率は10%を超えると言われています。ケアする人の仕事の辛さは、患者さんとのコミュニケーションによってどんなにか緩和されるだろうと考えられます。

※参照元:http://www.izumino.or.jp/sick/past/20190802_nerve103.html

人間として扱われないことのストレスの大きさ

ナチス・ドイツの強制収容所では話すこと、歌うこと、見ることが禁じられ、人々は自分の名前の代わりに体に刺青された番号で呼ばれました。人間であることを否定され、人間でない動物であれば殺しても良いという考えによります。そしてそのような強いストレスは、本人だけでなくその子孫にも高確率で不安障害にかかりやすく、コルチゾールレベルが低い、独特のストレスホルモンのバランスを持つように影響しました。

またUCLAの研究では、貧困や高い失業率、孤独および犯罪率が高いなど恐怖を感じやすい地域に住む人々は、遺伝子発現が変化し、癌や他の病気にかかりやすくなり、この変化は何世代にもわたって子孫にも影響があることがわかっています。

同じく幼児期に虐待や無視など辛い経験を持つ人は、癌や他多くの疾患の発生率が高いことも研究でわかっています。これらは全て、人間の尊厳を踏みにじられるような経験が、いかに体へのストレスになるかを表しています。

もちろんこのような経験をする人は現代の日本では少数派です。しかし考えてみてください。日本でも認知症を発症する人は年々増加しており、2025年には5人に一人は認知症を発症すると推定されています。そして標準医療では認知症は治る病気ではありません。社会は今のところ、認知症患者を閉じ込める選択をしています。薬や拘束具で徘徊しないようにします。自分がベッドに拘束されたまま、残りの人生を過ごすことを想像した時、それに耐えられる人は多くないはずです。「そういうものだ」と思考停止して信じている価値観を根本的に変える必要があります。いくら「患者のため」といっても、これから行うケアを好ましいと思っていない患者さんに強制的にそれを行う権利は誰にもありません。

最後に

「世界人権宣言」の第1条には「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とあります。これは絵空事の理想ではなく、技術を伴うユマニチュードという哲学によって実現されるべき目標です。

それに実際、私たちが行えることはケアしかありません。患者さんの病気を医師が治すというのは傲慢です。病気が治ったのは、患者さん自身が治したからであって、医師はその手伝いはできますが、治したのは医師ではありません。例えば同じ病気を持つ2人の患者さんがいて、同じ治療をして一人は治り、一人は亡くなったとします。同じ治療をしたので、治った一人を「医師が治した」とするなら、亡くなった二人目は「医師が殺した」としなくてはいけなくなってしまいます。

私はその人の病気や障害に注目するのではなく、その人の可能性、いわば人生や命に話しかけたいと思います。

※本記事は『統合医療でがんに克つVOL.151(2021年1月号)』にて掲載された「リオルダンクリニック通信20」の許可を得た上で一部調整したものです。

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