産業医の仕事の一つに、過重労働面談があります。
身体の元気はこころの元気~うつには運動で炎症を抑える~<前編>
平成18年に過重労働者に対する産業医による面談が労働安全衛生法で義務化されました。
面談を行ってきた経験を通して、様々な気付きの中でもっとも大切だと感じているのが、運動とこころの健康の関係です。重要なポイントとなっているキヌレニン仮説をもとに、運動によってうつが改善する仕組みをご紹介いたします。
運動はこころの健康のポイント 過重労働面談から
私が勤務している会社では、時間外・休日の労働(残業)が1ヶ月80時間以上となった場合、あるいは3ヶ月平均で45時間を超えた場合に産業医が面接をすることになっています。これは法律で定められている基準ですが、健康診断結果なども勘案しながら状況を詳しく把握してきめ細かな対応をしています。
そこで、いろいろと話をして、過度の負担によってこころや身体に影響が出ていないかどうか、会社として改善が必要なことがないのか、状況の確認をするのです。場合によっては上司も呼んで仕事について話し合いをすることもありますし、すでに深刻な状況に陥っている人に休職をすすめることもあります。
過重労働者に対する産業医による面談が労働安全衛生法で義務化されたのは平成18年です。
私は今までにいくつかの会社において、のべ千名以上の過重労働者の面談を行ってきました。
その経験を通して、様々な気付きがありましたが、その中でもっとも大切だと感じているのが、運動とこころの健康の関係です。
不思議なことに、1ヶ月に100時間を超える過重労働を行っている人でも、ぴんぴんと元気な人がいるのです。
そのような人たちに共通していることは、
- 「日曜日だけはテニスをしてリフレッシュしています」
- 「毎日朝ジョギングしています」
- 「昼休みに30分間卓球をして汗を流すようにしています」
など、汗をかくようなかなり激しい運動を習慣にしているのです。
逆に、過重労働でげっそり、ぐったりしている人に共通していることは、
- 「休みの日は疲れて一日中ごろごろしています」
というのです。
1ヶ月100時間を超える残業というと、土日のうちどちらか1日は休日出勤をしていることが多いのですが、死守した週1日の休日をどのように過ごしているのか、運動をしているかどうかでストレスのかかり方、感じ方がかなり違うのです。
運動がストレスを発散させ、身体だけでなく、こころの健康に大きく影響を与えるということを、私は面談で確信し、安全衛生委員会でも何回も発言してきました。
運動によってうつが改善する仕組み
運動が身体によいことは言うまでもありません。
最近、運動によってストレスに強くなり、うつ病を予防することができる仕組みが科学的にも解明されつつあります。
2014年に、スウェーデンのカロリンスカ研究所のアグデロ博士らによって、マウスを使った実験で運動がうつ病を予防することが示されました(1)。
実験をご紹介しましょう。
マウスを人工的にうつ病にします。
その方法はフラッシュライトを点滅させたり、騒音を与え続けたりして睡眠を妨害し、サーカディアンリズム(1日の生理的な周期)が崩れるようなストレス環境を作って、5週間飼育するのです。するとマウスは食欲がなくなって体重が減り、動きが鈍くうつ病のような状態になります。
同じ環境で飼育するマウスに運動をさせるとなんと、うつ病にならないのです。
このときにマウスの体内で何が起こっているかを調べると筋肉である物質ができていたのです。
運動をしたマウスの筋肉ではKAT(キヌレニンアミノトランスフェラーゼ)という酵素がたくさん作られていました。この酵素は有害なキヌレニンを分解するために、うつ病になるのを防ぐことができるのです。
人間にストレスを与えると、脳内で必須アミノ酸であるトリプトファンの代謝産物であるキヌレニンという物質が増え、その結果うつ病を発症することが報告されています。KATはキヌレニンを無毒化するのです。運動によって筋肉で増加していた酵素がこの役割を果たすわけです。
ここで重要なポイントとなっているのが、キヌレニン仮説です。
キヌレニン仮説 トリプトファンの代謝経路
必須アミノ酸であるトリプトファンには2つの代謝経路があります。
セロトニン経路とキヌレニン経路の2つです。
ヒトでは、食事から摂取したトリプトファンの約95%がキヌレニン経路へ、残りの5%がセロトニン経路に流れると言われています。
そして、炎症があると、セロトニン経路が働かず、キヌレニン経路がメインとなります。すると、セロトニンやメラトニンが産生されません。
セロトニンやメラトニンの低下はうつや睡眠障害の原因となります。セロトニンを増やすとうつが軽快します。
現在うつ病にもっとも多く処方されている薬であるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は細胞へのセロトニンの再吸収を抑制して、脳内のセロトニンを増やす働きをするものです。
そして、キヌレニン経路において産生されるキヌレニン代謝生成物(キノリン酸、キヌレニン、キヌレン酸等)は、アルツハイマー病、パーキンソン病、ハンチントン病、筋萎縮性側索硬化症 (ALS)、多発性硬化症、エイズ痴呆症候群、うつ病、統合失調症、双極性障害、チック症、急性脳虚血、偏頭痛等の中枢神経系疾患が発症する機序に関係していると言われています。
つまり、神経系に対して悪影響を及ぼすのです。
キヌレニンの代謝物は、グルタミン酸系とアセチルコリン系を抑制し、ドーパミン、GABAなどの神経伝達物質を活性化することもわかってきています。
キノリン酸は神経毒性があるのに対し、キヌレン酸(KYNA)は虚血性脳障害を改善することが示されています。
キヌレニン経路の促進は慢性炎症によって起こります。
「炎症」「炎症があるときの対応」など続きは<後編>にて。
<参考文献>
(1)Agudelo LZ et alSkeletal muscle PGC-1α1 modulates kynurenine metabolism and mediates resilience to stress-induced depression. Cell. 2014 Sep 25;159(1):33-45. doi: 10.1016/j.cell.2014.07.051.
※本記事は宮川路子先生のホームページ『こころと身体の栄養療法』にて掲載された『身体の元気はこころの元気 うつには運動で炎症を抑える キヌレニン仮説 精神疾患のためのサプリメント』を、許可を得た上で転載しております。
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