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ビタミンCは新型コロナウイルスから世界を救う?【前編】

ビタミンCの歴史に学ぶ、そしてMy way(私のやり方)

ビタミンCが様々な疾患の予防および治療に有効であることは、これまでも多くの研究で示されてきました。また、新型コロナ患者の治療においてもビタミンCが有効であることは、私自身も以前から執筆しており、また、米国の専門家たちが作成した新型コロナ治療プロトコルにも記載されています。

ところが、こうした情報が表のニュースに出ることはありません。ビタミンCの歴史を振り返っても同様のことが言えます。

前編ではビタミンCの歴史からみるビタミンCの可能性に触れ、私自身が実践しているビタミンC療法については後編でお話ししたいと思います。

はじめに

高濃度ビタミンCがウイルス性疾患に有効であり、新型コロナウイルスの予防と治療に有効であることは以前より執筆していました。そんなある時、東京のがん雑誌の目に留まり、執筆の依頼を受けることになりました。そして、この度は日本オーソモレキュラー医学会から執筆の依頼を受けました。

さて、コロナ禍で世界が混乱していた昨年、米国でCOVID-19治療に「ビタミンC点滴を含むプロトコルが誕生した」というニュースを受け取りました。内容としては、米国8つの州の大学病院ならびに関連病院において、救急医療、急性呼吸器疾患、感染症の専門家ら8名が共同で「新型コロナウイルス(COVID-19)最前線におけるクリティカルケア・ワーキンググループ」を組織し、新型コロナウイルスの治療プロトコルを作成したというものです。

これは大変画期的なニュースですが、しばらく経ってもニュースになる気配はありませんでした。トランプ大統領がコロナに罹った時も、(回復が早いため)ビタミンCを使っているはずなのに、表には出てきませんでした。

ビタミンCが呪われているのは、1935年代に「ビタミンCがポリオウイルスに効く」と発表した米国コロンビア大学のClaus W. Jungeblut、1950年代に「高濃度ビタミンCがウイルス疾患に効く」ことを記す書籍を出版したIrwin Stone、 そして1970年代のLinus Paulingの時代と今もなお変わることはないようです。

万能薬は存在するのか

ギリシャ神話の中には、「杖」と「蛇」を持った医学の神・アスクレピオスがいます。彼の娘の1人にパナセア(Panacea)がいますが(ローマ神話ではパナケア(Panakea)と呼ばれる)、難病を治したことから後世では万能薬のことを彼女になぞらえてパナケア(Panakea)と呼ぶようになりました。

私が医師になって40年近く経つ65歳頃までは「万能薬なんて存在しない」と思っていました。ところが医学の歴史を学び、栄養医学を学んで実践してみると、ビタミンCが40以上の多岐にわたる疾患に効くまさに“万能薬”であり、ウイルスや細菌とその毒素などの感染症にも非常に有効であることがわかりました。そして今では、ビタミンCが新型コロナウイルスをも殺す画期的な薬になると確信しています。

私はここ十数年来、ライナス・ポーリング(Linus Pauling 1901~1994)と精神科医エイブラム・ホッファー(Abram Hoffer 1917~2009)らによって1968年に提案された「Orthomolecular Nutritional Medicine」(分子整合栄養医学)を金子 雅俊先生と溝口 徹先生を通して学び、実践しています。

今回はアルベルト・セントジョージによって発見されたビタミンCの歴史と、ビタミンCの中の抗ウイルス作用と抗がん作用を主に述べ、私が実践しているビタミンC療法(Vitamin C therapy in my way)について述べたいと思います。

万能薬・ビタミンC

ビタミンCの欠乏症といえば、先ず壊血病が挙げられます。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、大航海時代が始まります。この時代、人々は壊血病に苦しみ、結果として多くの命が奪われることになりました。その後1753年、イギリス海軍医のジェームズ・リンド(James Lind 1716~1794)が「柑橘類と新鮮な野菜が壊血病を予防する」との論文を発表しました。

<画像1>イギリス海軍医 ジェームズ・リンド


オーストラリア、ニュージーランド、ハワイなどの南太平洋の探検を1766年から三度行ったジェームズ・クック船長(Captain James Cook 1728~1779)は、リンドの忠告に耳を傾け、船にビタミンCを含むキャベツの漬物・サワークラウトを積みました。

そうして壊血病を防ぎ、長きにわたる航海を成功させたのです。(当時は「キャベツがビタミンCを含んでいる」とわかる術はなかったはずですが・・・)

<画像2>ジェームズ・クック船長

1779年2月14日、残念なことにクック船長はハワイで原住民に襲撃され命を落としましたが、南太平洋の探検とサワークラウトで壊血病を防いだことなどが後に功績として認められました。

亡くなったクック船長の功績と1794年のジェームズ・リンドの死を境に、英国海軍はリンドの提言を受け入れ、1795年には壊血病予防のために柑橘類を採用するにいたりました。

ちなみに、英国海軍は柑橘類の中でも特にライム(Lime)やライムジュースを好んで採用したことから、Limey(ライミー)が英国海軍の水兵のニックネームになっています。

1805年、英国海軍のネルソン提督がトラファルガーの戦いでナポレオン軍を破ったことや「七つの海」を制覇したことは有名な話です。これらの成功の陰には、柑橘類をいち早く取り入れた先の英国海軍の英断があったのではないかと私自身は考えています。

英国をはじめとする諸外国の一般船舶が柑橘類を積載し始めて壊血病を防ぎ始めたのは、英国海軍に50年ほど遅れた1850年以降のことです。

ビタミンCの発見

1911年に脚気を防ぐビタミンB、3年後の1914年にはドライアイを防ぐビタミンAが発見されました。そして壊血病を防ぐ因子には「ビタミンC」という名が付けられていましたが、そのビタミンCを発見したのは、ハンガリー人のセント=ジェルジ・アルベルト (1893~1986)でした。

ユダヤ系のハンガリー人であったセント=ジェルジは、ナチスドイツの迫害を避けるため英国に渡り、ケンブリッジ大学にてロックフェラー基金研究員となります。1927年には副腎由来の還元性物質であるヘクスロン酸(“hexuronic acid”)を単離し命名し、博士号を取得します。

高濃度ビタミンC

彼は1931年には王立フェレンツ・ヨージェフ大学(現・国立セゲド大学)に職を得て、研究員と共に地元特産のパプリカから大量に精製した"hexuronic acid"が構造的にはL-アスコルビン酸であること、また、これが以前から知られていた抗壊血病因子であることを明らかにし、「ビタミンC」と命名したのです。

彼は同時に細胞呼吸の研究を続け、フマル酸などが呼吸反応(のちのTCA回路)で重要な段階をなすことを発見しました。セント=ジェルジは、1937年にこれらの業績(生物学的燃焼、特にビタミンCとフマル酸の触媒作用に関する発見)によってノーベル医学生理学賞を受賞しました。

1940年代、アメリカ東部でポリオが多発し、この時ビタミンCがグラム単位で点滴注射されて、ポリオウイルスのコントロールに効果を示したことがJungeblutによって報告されています。しかしながら、この後のポリオワクチンの開発によって、ビタミンCのこうした効用は日の目を見ることもなく、時は流れていきました。

この頃からビタミンCの高濃度療法に興味を持ち、研究を行っていた生化学者がいます。アーウィン・ストーンIrwin Stone 19071984)です。彼は、人間とサルとモルモットが自分でビタミンCを体内で合成できないこと、一方で他の動物は通常のストレス下で人間成人に換算するとグラム相当のビタミンCを体内で製造していることを知ります。

そして「人間は慢性的に大量のビタミンCが欠乏している」という仮説を立てて研究し、高濃度ビタミンCは心臓血管系の疾患を予防すると説いていました。(壊血病を防ぐには1日30mgのビタミンCで良く、厚生労働省の推奨量(RDA)1日100㎎です。ビタミンCの1日量をグラム単位で服用する用量を高濃度と言います)

ポーリングがビタミンCの重要性に気付くまで

1966年、ストーンはライナス・ポーリングと出会い、ビタミンCの重要性を説きました。そして、ストーンは40年間のビタミンCの研究の結果を『The Healing Factor:“Vitamin C” Against Disease』に記しました。この著書の序文には、ノーベル賞受賞者である2人(ポーリング、ビタミンC発見者のセント=ジェルジ)が言葉を寄せています。

元来、風邪を引きがちだったポーリングは高濃度ビタミンCを飲み始めてからというもの、風邪を引きにくく元気になり、ビタミンCの重要性を説くストーンを信じるようになったのです。ポーリングは1970年に『Vitamin C and the common cold』を出版し、アメリカでベストセラーになりました。

無視され続けたビタミンCの有効性

1972年、ポーリングはスコットランドの医師・キャメロン(Ewan Cameron 19221991)に出会います。2人は、ビタミンCにはガンに対する延命効果があるという意見で一致しました。彼らはガン患者にビタミンCを点滴で10g〜15g投与し延命効果があることを証明します。そして1977年、ポーリングはキャメロンと共著で『Cancer and Vitamin C』という書籍を出版しました。

化学者ポーリングは、糖に似た構造式を持つビタミンCの構造式の中にOH基を2つ持ち、酸化も還元も行える「エンジオール基」の存在が重要であると説き、「世界を救うエンジオール基」と1970年代にすでに述べていました。昨今のパンデミックにおけるカオスを救う「エンジオール基」を予言していると思いましたが、世の中の多くの学者や政治家、そしてマスコミは全く聞く耳を持たないようです。

こうした傾向は、1970年代も同様でした。ポーリングのこれらのビタミンCの業績に対し、ニューヨークのマウントサイナイ病院やメイヨークリニックの医師たちは反対の結果を出し、アメリカ医師会もこれに賛同しました。その結果、ポーリングはアメリカ医学界から“異端児”と烙印を押され、無視されるようになりました。

リオルダンが遺したもの

しかし一方で、世の中には真実を見極める人物がいるものです。医学生時代から栄養医学、とりわけビタミンCに興味を抱き、ポーリングの信奉者であったリオルダン(Hugh D. Riordan 19322005)は、1976年にカンザス大学医学部を卒業後、カンザス州で地域医療に携わります。

その後1989年にはウィチタに「国際人間機能改善センター」を開設し、ビタミンCの多岐にわたる作用の研究を行いました。(リオルダンが亡くなった5年後(2010年)、リオルダンクリニックに改称) 

話は少し遡りますが、1959年にカナダの医師・マコーミック(William J. McCormick 18801968)は「ビタミンC欠乏症が原因でコラーゲンの生合成に欠陥をきたし、さらに血管や軟部組織の正常化が破綻をきたし、結果的にガンが発生する可能性がある」との仮説を立て、結果的に高濃度ビタミンCがガンを改善するであろうと確信していました。ポーリングやキャメロンが彼の見地を受け継ぎ、リオルダンにさらに影響を与えることになります。

リオルダンは医学生時代から、自身の体内のビタミンC血中濃度を測っていました。毒グモに刺された後に血中ビタミンCがゼロになり、回復すると「C」の血中レベルが元に戻りました。それからというもの、彼はビタミンC、中でも高濃度ビタミンCの多岐に亘る研究を行っていきます。

ウィチタ・カンザスのリオルダンの下で高濃度ビタミンC療法を学んだ医師たちがアメリカ中に拡がり、2005年にはアメリカの健康の重要な中心機関であるNIH(米国国立衛生研究所)の医師が「高濃度ビタミンCがガン細胞を殺す」といった主旨の論文を掲載しました。

この論文を受けて高濃度ビタミンCの効果は再評価され、ビタミンCが後に述べる活性酸素・過酸化水素 、さらに強力な活性酸素であるヒドロキシルラジカルがガン細胞内に発生して「ガン細胞を殺す」という事実が世界中に拡がって行きました。

2005年にリオルダンが亡くなった後もリオルダンクリニックの人々はビタミンCの研究を継続しており、最近のリオルダンクリニックのホームページにはCOVID19に対する高濃度ビタミンCを用いた予防・治療法が解説されています。





<参考文献>
・リオルダンクリニックホームページ・COVID19 News&Updates
・『上海市ビタミンCの例・上海市が新型コロナ治療に実践する「ビタミンC」の実力』(現代ビジネス(3月16日電子掲示版))
・点滴療法研究会ホームページ
・『米国にてCOVID-19治療にビタミンC点滴を含むプロトコルが誕生』(日本オーソモレキュラー医学会)

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