ログイン 会員登録

プラントベースホールフードでがんを克服した症例【後編】

前回より、49歳の時に末期の肺がんと診断され、余命6ヶ月と宣告をされたものの70歳になられる現在も元気に過ごされている八坂 正博氏の症例をご紹介しています。

抗がん剤と放射線療法そして食養生により、がんと共存するかたちで6ヶ月の余命宣告から3年の月日を過ごされていた八坂氏ですが、徐々に食生活が緩むようになっていました。乱れた食生活を3ヶ月ほど続けた頃、首の右側がおよそ5cm径で岩のように固く、ボコボコとしていることに気付きました。がんの再発です。

【前編はこちら

ハイパーサーミアによる温熱療法

某大学病院で放射線治療を開始しましたが、わずか3日で中止となりました。すでに放射線療法は許容量上限まで受けてしまったために副作用が心配されたようです。

同病院にはハイパーサーミアの装置がありました。「ハイパーサーミア」とは温熱療法のことです。がんは高温で死滅しやすく、がん細胞を排除してくれる免疫は高温のほうが働きやすいことを利用した装置で、主に代替医療や統合医療で用いられることが多い有効かつ安全な方法です。

ところが、当時の大学病院にはハイパーサーミアを使用できる医師がおらず、装置は眠ったままの状態でした。そこで、大阪府堺市の病院に出向していた医師が金曜日に病院へ戻り、八坂氏の治療を担当してくれることになりました。そして、八坂氏は6ヶ月間ハイパーサーミアの治療を受けることができました。この時、ハイパーサーミアは「平らで施術がしやすい左肺のがんには有効だが、立体的な部位にある右頭部の転移がんには効きにくい」とも告げられていました。

同じ頃、大学病院には化学療法部が新設され、八坂氏の退院後2ヶ月毎の診察を担当していた准教授が化学療法部の部長になっておられました。地下のハイパーサーミアの部屋で薄い抗がん剤の点滴を受けながら処置台に横たわり、大きな器具で挟まれて身動きせずに照射を受けました。ボーラス法というものです。タイミングよく西洋医療の病院でこの治療を受けられたことは、八坂氏にとって幸運だったと言えるかもしれません。

実は、この温熱療法にはもっと柔軟に体のどんな部位にも当てることができる方法があります。その1つである「インディバハイパーサーミア」は、私のクリニックでも手術後の傷の回復促進や美容目的で20年以上前から使用しています。

「いつの間にか治っていた」

6ヶ月のハイパーサーミア治療期間に、八坂氏のがんは治らないと予想された顎部の転移巣が消失した一方、「残念ながら左胸部には効果がなかった」と医師に告げられました。ところが、後の検査で左胸部のがんもいつの間にか治っていたことがわかりました。

八坂氏は、転移が判明した時点から食事は厳格な甲田療法に戻しており「がんが消える時の自覚はあった」と言います。6ヶ月間のハイパーサーミアの治療を終了し、左胸部のがんは治らなかったと告げられた1〜2か月後には左胸の赤みと痛みが瞬く間に消失したのです。

「いつの間にか治っていた」というのは、医療者側からみた見地に過ぎません。

再々発、迫られた選択

それからは厳密な甲田療法の食事を守っていましたが、がん宣告から5年以上経過した2006年の秋頃にご長男の結婚が決まりました。お祝い事でつい気が緩み、肉や海産物、アルコールなどを摂取するようになりました。食生活が乱れてから3〜4ヶ月後、左肩の首に近いところにコブができていることに気付き、痛みを感じてそこを見てみると“花の蕾”ができていました。隆起は4cmほどになっていました。

すぐに大学病院を受診し、抗がん剤点滴を受け、翌週に次回の抗がん剤点滴を受ける予定で病院に訪れました。ところが、血液検査の結果、赤血球・白血球・血小板共に数値が著しく低くなっていて「これ以上は治療できない」と告げられました。自宅で療養するかホスピスで最期を迎えるかの選択を迫られたのです。

がんをコントロールする

抗がん剤点滴を受けられないと告げられた八坂氏は、自宅に戻り甲田療法生食療法Aを行いました。いわゆる半断食です。すると、3日で肩のがんのこぶのてっぺんの赤みが消失し、1週間で隆起や赤みが消失するとともに痛みもなくなりました。

八坂氏が続けている食事法

八坂氏はその後11年間、甲田療法を基本とした食事を続けています。具体的には生野菜中心の食事ですが、加熱した野菜を食べることもあります。調味料はこだわりの「海の塩」と昔ながらの製法で醸造された本物の醤油を少量使用し、白米は1日に1合程度。

キュウリの酢の物の中に入っている程度のちりめんじゃこは食べます。そして、卵をだし巻きかゆで卵で1週間に1回ほど、焼き魚か刺身は週に2回程度食べています。果物はあれば少量食べます。陸の動物は決して食べません。

飲み物に関してはアルコール類は飲まずにコーヒーを時々飲みます。水分は水、麦茶、日本茶のかたちで1日に1.5リットル以上飲みます。玄米粉は自分で工夫して作った発酵食品に入れて1日に2~3回食べています。

2度目のがんの再発で医師から見放された八坂氏は自身で食事を管理し、がんをコントロールし、現在もお元気に過ごされています。

乳酸菌の効用

八坂氏の地元には、大人も子どもも体調を崩せば鮒(ふな)寿司を食べて治すという風習があります。鮒寿司は琵琶湖の鮒を蒸した米で発酵させる、この地方に古くから伝わる発酵食品です。今でこそ「免疫の80%は腸にある」「腸内環境が健康の決め手に」といった情報が一般にも知られるようになりましたが、この地方では昔からどんな病気の時でも鮒寿司を食べさせるのは当たり前のことでした。代々伝わる様々な種類の乳酸菌が腸内環境を整えるためでしょう。

乳酸菌にはとても多くの種類があります。それ故に、それぞれの人にあった乳酸菌で腸内環境を整えてこそ健康につながります。鮒寿司の乳酸菌は、実は動物成分を含んでおりません。米由来の乳酸菌なのです。八坂氏は、この乳酸菌が鮒寿司と同様に「自分の健康を守るだけでなく、多くの人の健康にも役立つ」と気付きました。

2度目の再発後、いつも食べている玄米粉をおかゆにして鮒寿司の乳酸菌で発酵させてみました。臭いので玄米ではなく白米にしてみましたが、それでもまだ臭います。そこで、無洗米にしてみたところ、不思議なことに臭いません。玄米を洗ってテンパリングすると臭くならないことがわかりました。

地元の同級生は無農薬の近江米を作っていますし、地元の水にも良いものがあります。米を地元の乳酸菌で発酵させたヨーグルト様食品は「アレルノン」と名付けられ、商品化されました。アレルギー科の医師に検証を依頼し、アトピー性皮膚炎の改善に効果があるとの実証を得ています。

八坂氏との出会い

私が八坂氏と出会ったのは2013年秋頃でした。私がクリニックビルの1階にPBWF(プラントベースホールフード:植物性の食材をなるべく精製加工せずに食べる)を基本コンセプトとしたビーガンカフェ「CHOICE(チョイス)」をちょうど立ち上げた頃です。

八坂氏はご自分で京都まで車を運転してこられ、お元気そうに見えましたがその少し前までは体が辛く、頭もスッキリせずに車の運転どころか歩行もままならず、1〜2時間起きて仕事をした後は1〜2時間横にならなければいられない状態だったそうです。抗がん剤の影響が抜けるまでには年月がかかるからではないか、とご自身で分析されていました。

左肺門部にがんは存在していましたが、10年間そのままで大きくなる気配はありません。少量の魚や卵を食べるなど、厳密な甲田療法から少し緩めた食事の摂取が可能となったのは、1日に3回食べる鮒寿司由来の乳酸菌を使った発酵食品のおかげだと確信されていました。

八坂氏の現在

2020年始めに世界を襲ったパンデミックにより、私達の日常生活は一変しました。以前は大学病院での経過診察がある際などにはCHOICEに顔を出していただき近況をお伺いしていたのですが、COVID-19のパンデミック以降はしばらくお顔を拝見できない日々が続いていました。

COVID-19は健康な人が免疫力を落とさないように日頃から気を配っていれば、特別恐れる病気ではありません。しかし、八坂氏には基礎疾患があるため健康な人よりも細心の注意が必要です。そんな私の心配をよそに、2021年の春に驚くべきお話を伺いました。

一般の人よりリスクが高いことを自覚されていた八坂氏は、実践していた食養生に加えて納豆、山芋、オクラ、なめこ、モロヘイヤなどの俗に言う“ネバネバ食品”を意識的に食べるようにしていたといいます。

すると直近の検査で、なんとがんが消滅していることがわかったのです。2000年に余命宣告されてからご自身でコントロールしながらがんとの共存を続けてこられましたが、COVID-19の逆境下でついにはがんを克服されたのです。

70歳になられる八坂氏ですが、今後も益々ご活躍されるに違いありません。

同じタグの記事を読む