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宇宙と宇宙を繋ぐ(2)断絶はいつ崩れたのか

口腔から入った細菌は強酸である胃液によって殺菌されて腸に届かず、腸内細菌との関連性は比較的低いと考えられていました。しかし近年、胃潰瘍や逆流性食道炎の治療に使われるプロトンポンプ阻害薬(PPI)などの薬剤により胃酸の機能が低下し、口腔細菌が腸に達して腸内細菌の構成に影響することが指摘されています。PPIはインプラントなどの歯科治療にも影響が懸念されており、これらを念頭に入れた薬剤の選択や歯科治療への配慮が求められてきています。

崩れつつある「フローラの断絶」

“消化器官はクチから大腸まで繫がっていて、相互に深く関係している”

この「繫がっている」という意味は解剖学的にだけではなく、さまざまな機能の面でも深い関わりがあることを意味しています。この概念は現代に暮らす私たちにとって、いかにして健康を手に入れるかを考える上で最重要な課題の一つとなったといって過言ではありません。

口腔は大腸に次いで多くの常在菌が生息している場所です。しかしこの消化器官の入り口と出口の細菌叢は、それほど密接に関連していないのではないかと、つい最近まで考えられていました。なぜなら、口から入った細菌は胃液の強酸で殺菌されてそれより先には到達せず、「フローラ(菌叢)の断絶」があると考えられていたからです。これは口腔から侵入した有害な病原菌に、下部消化管方面に橋頭堡を築かせないという意味でも、有効に機能していると考えられていました。

ところが、最近はさまざまな理由から、この「断絶」が崩れているケースの増加が明らかになっています。そして、それは消化機能だけではなく、免疫機能やアレルギー反応にまで影響することがわかってきました。

プロトンポンプ阻害薬(PPI)と口腔の健康

・文豪を最期まで悩ませたもの

明治の文豪・夏目漱石を知らない方はいないと思いますが、その最期についてはご存じでしょうか。実は彼の死因は巨大な「胃潰瘍」からの出血で、病理解剖でそれは確認されています。度重なる吐血を繰り返し、最後は失血死という壮絶な最期であったといいます。余談ですが、漱石の弟子である文筆家・物理学者の寺田虎彦や、詩人・小説家の室生犀星も胃潰瘍持ちであったとのことです。

1970年代までは「胃潰瘍を手術で治す」、つまり一定以上の大きさの胃潰瘍は外科的に切除するしか完治の手段がありませんでした。ところが今では、漱石のように胃潰瘍で亡くなる人はもちろん、手術を余儀なくされたという話も皆無です。それは、胃酸の分泌を強力に抑制することで潰瘍を治癒に導く、非常に優秀な薬剤が開発されことによります。

・H2ブロッカー(1982年)

H2 ブロッカーは胃粘膜にあるヒスタミン受容体にヒスタミンが結合するのをブロックして、胃液の分泌を抑制するものです。商品名;ガスター、タガメット、ザンタックなど。1997年からは一定の条件下で薬局でも購入できる「スイッチOTC」となっています。

・プロトンポンプ阻害薬(PPI)1991年

PPIはより強力で、胃壁細胞のプロトンポンプに作用し胃酸の分泌を抑えます。商品名;オメプラール、タケプロン、パリエット、ネキシウムなど。2015年、さらに強力に胃酸を抑制する「カリウムイオン競合型アシッドブロッカー(P-CAB)」であるタケキャブ(一般名:ボノプラザン)が発売されました。

PPIは胃潰瘍や十二指腸潰瘍、逆流性食道炎(それに併発する食道びらん)の治療、ピロリ菌の除菌治療などに欠かせないものですが、長期連用されることの弊害も認識しておく必要があります。

たとえば非ステロイド系消炎鎮痛剤(NSAIDs)は歯科臨床でもよく使われる薬剤ですが、主な副作用として胃腸障害があり、PPIはその防止に有効です。それに対し、小腸などの下部消化管の障害にPPIが有効とはされていません。さらにはNSAIDsとPPIの長期連用には特発性細菌性腹膜炎や偽膜性大腸炎を含む腹部の感染の懸念が持たれています1)が、学会ガイドラインで推奨されていることもあり、そのような処方を受けている患者さんは決して少なくありません。

胃酸はときに胃潰瘍などの疾患の原因になりますが、重要なタンパク質消化酵素であるペプシンの活性維持や、ビタミンB12やカルシウムなどの栄養素の吸収に必須のもので、抑制することのデメリットも無視できないものです。そしてPPIの長期服用により、慢性腎臓疾患や健康寿命に影響を与える様々な病態をもたらすとの多くの報告もあります2)3)

自己責任の国 USA

筆者は約10年前より、アメリカ・アンチエイジング医学会(A4M)の年次総会にコロナ禍の時期を除いて毎年参加していますが、開催地のラスベガスのメインストリートにあるドラッグストアで定点観測をしています。日米の法制の違いもあり、店頭で手軽に入手できる医薬品やサプリメントにはかなりの差があり興味深いものですが、日本では医師の処方が必須のPPIが、おそくとも2018年時点で他の商品と並んで棚に陳列されていました(図1)。

(図1) ラスベガスのドラッグストアでは、一般薬と同様に商品棚から自由に購入できる形でPPIが販売されている(2018年12月撮影)

しかしその一方で「自己責任の国」アメリカらしく、情報提供はしっかりと行っています。The Centers for Medicare & Medicaid Services (CMS)とアメリカ食品医薬品局(FDA)が共同でリリースしたファクトシート4)には

  • 股関節、手首、脊椎の骨折
  • 低マグネシウム血症
  • クロストリジウム・ディフィシル関連下痢
  • 急性間質性腎炎
  • ビタミンB12欠乏症

等のリスクの記載が、効能や適応症を上回る文字数で記載されています。日本ではPPIより薬効がマイルドなH2ブロッカーですら「スイッチOTC」であり、販売時に薬剤師の服薬指導が必須な「第一類医薬品」であることを考えると、両国の対応の違いは印象的です。

また実際、1815人を16S rRNA遺伝子により評価した3つのコホートでのメタ解析5)では、PPIの使用の有無により腸内フローラが有意に変化したり(図2)、腸内での口腔内細菌の検出率が高まったりし、近年問題となっているクロストリジウム・ディフィシル関連の腸内感染症のリスクが増加したとの報告もあります。

(図2) 3つのコホートのメタ解析の結果、腸内細菌の多くの属でPPIの継続服用で有意差がみられた。文献5より引用

歯科治療にも一定の配慮を

歯科治療との関連も無視できません。568人に施術した2416本の歯科インプラントの予後を多変量解析した結果、継続的にPPIを使用している場合、早期(負荷後12か月以内)の失敗の危険度が1.91倍に達したとの報告6)もあります。治療法の選択や患者説明にあたり一定の考慮は不可欠と考えるべきといえます。

おわりに

今回はおもにPPIを取り上げましたが、ピロリ菌感染など胃酸の機能を低下させ「フローラの断絶」を破壊する要因は他にもあります。私たちは口腔と腸のフローラの関わりを常に念頭に置く必要があるでしょう。

【参考文献】

1) Lim YJ, Chun HJ: Recent Advances in NSAIDs-Induced Enteropathy Therapeutics: New Options, New Challenges. Gastroenterol Res Pract. 761060,2013.

2) Lazarus B, Chen Y et al. Proton Pump Inhibitor Use and the Risk of Chronic Kidney Disease, JAMA Intern Med 2 :238-246,2016.

3) Lewis JR, Barre D et al. Long-term proton pump inhibitor therapy and falls and fractures in elderly women: a prospective cohort study. J Bone Miner Res 29: 2489-97,2014.

4) Proton Pump Inhibitors: Use in Adults (cms.gov)

5) Imhann F, Bonder MJ, Vich Vila A, Fu J, Mujagic Z et al. Proton pump inhibitors affect the gut microbiome. Gut. 2016 May;65(5):740-8.

6) Altay MA, Sindel A, Özalp Ö, Yıldırımyan N et al. Proton pump inhibitor intake negatively affects the osseointegration of dental implants: a retrospective study. J Korean Assoc Oral Maxillofac Surg. 2019 Jun;45(3):135-140.

 

<連載記事>

宇宙と宇宙を繋ぐ(1)プロローグ フローラの健康と環境の健全 https://isom-japan.org/article/article_page?uid=m2A9h1710467806

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