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オーソモレキュラー医学ニュースサービスー日本語版

国際版編集主幹Andrew W. Saul, Ph.D. (USA)
日本語版監修柳澤 厚生(国際オーソモレキュラー医学会会長)
溝口 徹(みぞぐちクリニック)
姫野 友美(ひめのともみクリニック)
北原 健(日本オーソモレキュラー医学会理事)
翻訳協力Wismettacフーズ株式会社ナチュメディカ事業G

* 国際オーソモレキュラー医学会ニュース<日本語版>は自由に引用・配信ができます。引用の際は必ず引用元「国際オーソモレキュラー医学会ニュース」とURL(https://isom-japan.org/)を記載してください。

「良き医師は患者を一人の個人として診る- EBMの破綻」

執筆:Daniel L. Scholten

(OMNS(分子矯正医学ニュースサービス)、2012年1月3日)

以下に、我々が公表に値すると思った画期的な新しい論文を紹介する。この記事では、OMNS向けにこの論文を要約した。この論文の型破りながら示唆に富む内容を伝える必要があり、読むか読まないかは読者に委ねることとした。 – OMNS編集者 Andrew W. Saul

一連の「科学的根拠に基づく」医療(EBM)の実践に対するOMNSでの最近の批評?(1)の中で、研究者Steve HickeyとHilary Robertsは、「適切に計画された大規模な二重盲式無作為化プラセボ比較臨床試験」の「究極の判断基準」を満たしている治療法にこだわったEBMの形式主義のために、医師が患者を効果的に診断・治療できなくなっている、と論じている。この記事では、この部分について詳しく述べたいと思う。彼らは、サイバネティックス(人工頭脳工学)における一つの常識(2)を用いてこの主張を正当化している。その常識とは、「グッドレギュレーター」の定理(GRT)や、最初の論証を発表した研究者にちなんで「コナントとアシュビー」の定理など、様々な名前で知られているものである(3)。

こうした専門用語を理解できるか心配する必要はない。この用語を読むことができれば、たとえその用語を使っていなくても、システム科学によるこうした成果について、すでに重要なことを理解しているのである(4)。同様に、これまで、初めての街を旅するために市街地図を見たり、本の内容をざっと見るために索引を見たり、ひょっとしたら、患者の病気を診断するためにX線画像や検査報告書を見たことがあるならば、この概念的なパワーツールの少なくとも骨子をきわめて簡単に扱える状態にある。それは、以下のように言い換えることができる: 問題の良き解決策はどれも、その問題をモデル化したものでなければならない(5)。

■一体、どう言うことなのか?

この定理は、以下のとおり、他にもいくつかの方法で言い換えられる。

?システムの良きレギュレーター(グッドレギュレーター)はどれも、そのシステムのモデルでなければならない。
?良き鍵はどれも、それで開ける錠のモデルでなければならない。(6)
?コントロールは、類似性を意味する。
?全く同じ状況は、全く同じ対応を意味する。
この定理の基本理念は、単純な思考実験により説明することができる (7)。初めてのレストランでメニューを見ないで食事を注文しようとしたり、説明書を見ないで家具を組み立てようとしたり、血糖の検査報告書を見ないで糖尿病の診断をしようとしている場面を想像しよう。もちろん、文字を持たない我々の祖先でも使うことができたのとほとんど同じ基本技能を使えば、どんな状況であれ、何とかやり遂げられるだろう。しかし、確固たる事実として、地図、メニュー、X線画像、医学検査報告書というのは、能力を高める強力な手段であり、それがないと、迷子になったり、食べ損ねたり、医学的な誤診をしたりする危険がある(8,9)。

■なぜ問題があるのか?

こうした真実は曖昧になりやすい。問題は、モデルの中には他のモデルより明らかに優れているものがある、ということである。極端な例として、手持ちの地図が古かったり、使用説明書の記載が不十分であったり、また、メニューにある写真は食欲をそそるものだったのに、実際の食事は味が薄い、塩辛い、または脂っこいことがわかった場合などがある。もう一つの問題として、市街地図からMRIスキャンに至るまで、モデル化は費用がかさむ場合がある。さらに、それを作成したり使用するのに必要な専門技術をマスターするには費用がかかる。こうした費用は、正式な教育を修了するための年数、金額および勉強によって測定される。ここでの要点として、かかるモデル化の費用を支払う人が、その費用が効果を上回るのだろうかと考えるのは妥当である。自分のシステム・レギュレーターの能力を高めたり、自分の問題の「良い解決策」を見つけたり、開けたいと思っている錠にぴったり合う「良い鍵」を見つけるには、もっと安価な方法があるかもしれない。

一般的な次善策に、記憶された「メンタルモデル」に依存するという方法がある。この方法は、牛乳を買い足すために食料品店にちょっと立ち寄るというような単純な作業ではうまくいくが、作業が少しでも複雑になると、作業記憶(10)の限界によって、すぐにこの方法が役立たなくなり、何のモデルも用いない場合とさして変わらなくなる。第2の方法は、外部のモデルを用いなければならないような複雑な行動を単に避けることである。たとえば、超音波画像診断装置の使い方を学ぶことは費用と時間と労力を要するため、同時に、たとえば保険数理のモデリング技法や、場合によってはハッブル宇宙望遠鏡の使い方を学ぶことが必然的にできないという理由しかない場合、結局、我々は皆、この方法に大きく依存しなければならない。選択するということは、捨てるということである。しかし、この方法にも限界があり、もしかしたら無学や数学音痴を理由として、また、場合によっては、文字を持たない狩猟採集生活に戻ることを意図的に決定したために、こうした複雑な行動を全部避けることは、別の種類の負担にすぎない。

モデルやモデリングの専門技術の取得にかかる高額な費用を避けるための第3の方法は、「多目的の」モデルを探すことである。たとえば、いろいろな都市やレストラン、また様々な装置にも使用できる汎用の地図、メニュー、ユーザーガイドなど(11)。HickeyとRobertsによると、この第3の方法は実際、EBMにて支持されているものである。

■1つの鍵をすべての錠にぴったり合わせることはできない

HickeyとRobertsは、グッドレギュレーターの定理を上記のように「鍵と錠」に例えて、主張を説明している。それに倣って我々はまず、患者の症状は医師が「開け」ようとしている「錠」である、と類推する。要するに、グッドレギュレーターの定理によれば、医師は診断と治療の行為を通してその症状を「モデル化」(表象)しなければならない。ただし、その症状は、患者の遺伝子型および表現型から見た「特徴的な解剖学、生理学および生化学」との関連で生じているため 医師はその症状をモデル化しなければならない、という重大な必要条件を付け加えるべきである(12)。

言うまでもなく、これは、医師が、ひょとしたら患者と同じ服装や髪型、話し方、行動の癖など身に付け、奇抜なジム・キャリー風の風刺画のような奇抜な患者を演じなければならない、という意味ではない。これが意味しているのは、医師による診断・治療の対応と、患者の症状の間に生じる関連性は、たとえば、マンハッタンの地図の配色と、実際のマンハッタンの街の街路・公園・建物との間で保たれている慣習的な信頼性と同様である、ということである。

この配色が、ほんのたまにリンカーンセンターを表すものであったり、時にはセントラルパーク、時にはサウスストリート・シーポートを表すものであれば、間違いなく混乱してしまうだろう。たとえ、地図上で同じ配色により複数の実在するランドマークを表すことができたとしても、常識的に、また文化的慣習が強い場合は、1種類の配色が確実に1つだけの実在場所を表すことが求められる。ConantとAshbyによるグッドレギュレーターの定理によって実証されているとおり、医師の対応は、患者の症状に対して、同様の確実な関連性がなければならない。こうした確実性があれば、医師の対応を、患者の症状のモデル(表象)と考えることができる(13)。「科学的根拠に基づく」医療(EBM)は、「適切に策定された大規模な二重盲式無作為化プラセボ比較臨床試験」(14)によって確認済の治療法にこだわったものであり、ほとんどの場合、医師が症状をモデル化することはできない。なぜなら、症状は実際、所定の患者の解剖学的、生理学的、生化学的に特徴的な関連で生じるからである。例え話として、「科学的根拠に基づく鍵師」(EBL)が、何百もの「適切に策定された大規模な二重盲式無作為化プラセボ比較臨床試験」のメタ分析の結果にもとづいて最近開発されたばかりの最新かつ最高の「素晴らしいEBLマスターキー」を使って錠を開けようとしている場面を考えることができる。こうした試験によって、完全に平均的な鍵の絶対的な重要属性が判明していて、以下の明らかにばかげた宣伝文句があったとする:「この素晴らしいEBLマスターキーには、完全に平均的な属性があるので、もうどんな錠でも開けることができる」。

とてもばかげていると思わないか?

明らかに、このような完全に平均的な鍵というものがあったとしても、ほとんどの錠は開けられないだろう。他の方法で判断すれば、「生態学的錯誤」を犯すことになる。これについてHickeyとRobertsは、「一人の人間に完全に平均的な集団値を当てはめることができるという思い込み」と言っている(15)。もし、完全に平均的な鍵を1つの錠に押し込み、無理に開けようとひねって引っ張れば、それはグッドレギュレーターの定理に反することになり、我々は以下のことに気付く: 良き鍵というものは、他の錠でもなく、とくに、完全に平均的な仮想の錠でもなく、それで開けることになっている錠に実際ぴったり合うものでなければならない。これと同じことが、実際の医療行為にも言える。

■EBMでは、医師は効果的な医療ができない

我々にはまだ、科学研究と、そのデータが必要である。モデルというのは、能力を高める強力な手段である。食料品のリストや、元素周期表や、超音波画像診断技法がなかったら、我々の生活はどのようなものになるか想像してみよう。しかし、その科学的根拠がいかに明白で十分なものであれ、常識が明らかに欠如していれば、医学的判断は損なわれる。EMBの実践はおそらく、法体制と製薬会社の利益が招いた結果と思われる。つまり、お金である。

しかし、こうした障害の原因が何であれ、現実の人々、現実の病気、および現実の医師には限度があるため、EBMはDOA(データ重視の方法)になっている。患者は統計値ではないし、治療は統計値であるべきではない。良き医師になるには、患者の症状をモデル化しなければならない。個人的に。

(Daniel L. Scholtenは、数理科学の学位を持ち、プログラマー、アナリスト、コンサルタントとして12年に及ぶ情報技術経験を持つ。同氏は、複雑なシステムの調整においてモデル化が果たす重要な役割について一般市民の意識と理解を高めることを目的として、有志による独立研究を行うため、グッドレギュレータ―・プロジェクト?を立ち上げた)。

 

注釈および参考文献:

1. Hickey, Steve and Roberts, Hilary, Tarnished Gold: The Sickness of Evidence-Based Medicine(科学的根拠に基づく医療という病), 2011, CreateSpace.

2. グッドレギュレーターの定理を含む、「ほとんど自明の」サイバネティクス原理の詳細リストがFrancis Heylighenによって編纂されている。以下を参照のこと: Principles of Systems and Cybernetics: An Evolutionary Perspective(システムとサイバネティクスの原理:進化的視点)(http://pespmc1.vub.ac.be/Papers/PrinciplesCybSys.pdf?のサイトにて閲覧可能)

この論文で、Heylighenは、ConantとAshbyによる「グッドレギュレーターの定理」と、「必須知識の法則」を区別している。後者については、「摂動を十分に補償するためには、利用できる種々の動作からどの動作を選ぶべきか、コントロールシステムが「知って」いなければならない」と述べられている。Heylighenはこの2つを区別していたが、この2つは等価原理であるとも述べていることに注意。

3. Conant, Roger C. and Ashby, W. Ross, 1970, “Every Good Regulator Of A System Must Be A Model Of That System(システムの良きレギュレーターはどれも、そのシステムのモデルでなければならない)”, International Journal of Systems Science, vol. 1, No. 2, 89-97.

4. 文字を読むことができる人々は、読めることを当然と考える。こうした贅沢な能力を持たない人はたくさんいる。UNESCOによる最近の状況報告書によると、2009年では世界の成人の16%(7億9,300万人)以上が読み書きができず、そのうち64%以上は女性である。”Adult and Youth Literacy(成人と青少年の識字率)”, UIS Fact Sheet, September 2011, no. 16, The Unesco Institute for Statistics.?http://www.uis.unesco.org/FactSheets/Documents/FS16-2011-Literacy-EN.pdfisのサイトにて閲覧可能。

5. Scholten, Daniel L., 2010, “Every Good Key Must Be A Model Of The Lock It Opens: The Conant And Ashby Theorem Revisited(良き鍵はどれも、それで開ける錠のモデルでなければならない:ConantとAshbyの定理の再考)”(http://www.goodregulatorproject.orgのサイトにて閲覧可能)にある、この妥当な言い換えに私は賛成している。これは、Herbert A. Simonによる、「問題を解決するということは、解決策を明らかにするため、その問題をモデル化することを意味する」という見解とも合致している: Simon, Herbert A., 1981, The Sciences of the Artificial(人工物の科学), 2nd edition, MIT Press, Cambridge, MA; 引用先: Norman, Donald A., Things That Make Us Smart: Defending Human Attributes in the Age of the Machine(我々を賢くするもの:機械の時代における人間の特質の防御), pg. 53, 1993, Basic Books, New York, NY.

6. Scholten、同著

7. 私は、このような思考実験について、この主張に関しては理に適っていると思うが、一般的にそれを軽々しく使用すべきではない。James Robert Brownが述べているように、結局これは、コペルニクス(地動説)の世界観に反論するために用いられてきた。以下を参照のこと: Brown, James Robert, 1991, The Laboratory of the Mind: Thought Experiments in the Natural Sciences(精神の研究室:自然科学における思考実験), Routledge, New York, NY; page 35. また、以下も参照のこと: Brown, James Robert and Fehige, Yiftach, “Thought Experiments(思考実験)”, The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2011 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL =?http://plato.stanford.edu/archives/fall2011/entries/thought-experiment/

8. 真に動的な実体である理想的なグッドレギュレーター・モデルと、その「技術仕様書」、つまりそのコントロールモデルと呼び得るものとの間で可能な重要な区別。(Scholten, Daniel, L., “A Primer For The Conant And Ashby Theorem(ConantとAshbyによる定理の入門書)”,?http://www.goodregulatorproject.org).
もう一つ認識すべき違いとして、グッドレギュレーター・モデルは動的であるのに対し、コントロールモデルは静的な場合もあれば動的な場合もある。

静的なコントロールモデルの例として、経験の浅いコックがローストダックのレシピを見ながら客の夕食を作る場合を考えてみよう。この場合、調整すべきシステムは、食事を作るのに使用する様々な材料と調理器具から成り、

動的なグッドレギュレーター・モデルは、調理を行う人間であり、レシピは、我々が静的なコントロールモデルと呼んでいるものである。レシピは、技術仕様書のように、人間がそれを用いることによって、自己の行動を導き(コントロールし)、「自分自身を」グッドレギュレーター・モデルに「変える」ものであるため、コントロールモデルである。

動的なコントロールモデルの例として、子どもが、「他人が悪いことをしているからといって自分もそうしてよいということにはならない」というような慣用表現を、大人が会話で使っているのを耳にして覚える場合を考えてみよう。この場合、調整すべきシステムは、子どもが参加している会話の部分であり、動的なグッドレギュレーター・モデルは子どもであり、動的なコントロールモデルは、大人のロールモデルである。ここでの考え方として、大人の行動は、一種の動的な技術仕様書の役割を果たし、子どもはそれを使って、所定の会話の文脈にて自分自身の行動をコントロールする。

動的なグッドレギュレーター・モデルと、その静的または動的な技術仕様書をこのように区別することは重要である。なぜなら、そうしないと、グッドレギュレーターの定理は、技術仕様書(コントロールモデル)が必要であること証明しているように思われ、それはこの定理の読み違いであると私は思うからである。グッドレギュレーターの定理は、グッドレギュレーター・モデルが必要であるということを証明しているに過ぎない。一方でこれは、技術仕様書も必要であるという経験的事実のように思われる。思考実験ではこのことが明白に示されている。とはいえ、思考実験は、我々がグッドレギュレーター・モデルの役割を果たしていない場合に自分たちの行動がどのように見えるか知るのにも役立つ。

(行動モデル化に関する信頼すべき詳細分析については、以下を参照のこと: Bandura, A., Social Foundations Of Thought & Action: A Social-Cognitive Theory(思考と行動の社会的基礎論:社会的認知理論), Prentice-Hall, Inc., Englewood Cliffs, New Jersey)

9. 人間だけの特質の一つとして、大量の種類のはるかに単純な機械およびより特殊な機械の動作を(チューリングマシンのように)まねるという驚くべき能力があることを認めよう。これについては、私著”Three-Amibos Good-Regulator Tutorial”にて、より広範に論じている(http://www.goodregulatorproject.orgのサイトにて閲覧可能)。

10. アクセス可能な最近の論考については、以下を参照のこと: Klingberg, Torkel, 2009, The Overflowing Brain: Information Overload And The Limits Of Working Memory(あふれ出る脳:情報の過負荷と作業記憶の限界), Oxford University Press, New York, NY

11. ここで私は、多目的モデルは互いのレプリカではない都市、レストラン、装置などに適用できるよう作られたものである、と仮定している。同じブランドのラップトップ型パソコンの所有者が全員、同じユーザーガイドを使用していても、明らかに何の問題もない。

12. Hickey and Roberts, Tarnished Gold, page 43. HickeyとRobertsは、問題なのは症状だけではない、と強調している。同時に重要なのは、こうした症状が起こっている人間であり、本人の特異点は、本人の遺伝子と、その遺伝子が本人の一生涯にわたって発現する環境との複雑な相互作用によって決まっているのである。この「生化学的な個性」という概念の考察においてHickeyとRobertsは以下の論文を引用している:Williams, R., 1998 (1956), Biochemical Individuality: Basis for the Genetotrophic Concept(生化学的な個性:遺伝的栄養という概念の基礎), McGraw-Hill, New York.

13. ConantとAshbyの言葉を借りれば以下のとおりである: 「マッピング(地図作成)の過程で見られるとおり、レギュレーターの動作は、そのシステムの動作に過ぎないという意味で、システムの最良のレギュレーターは、そのシステムのモデルとなっているものである、ということをこの定理は示している」….” Conant and Ashby, 1970, pg. 96.

14. HickeyとRobertsは、形容詞をつなげたやたらと長いこの言い回しを「EBMマントラ」と称した: 同著164頁

15. 同著24頁。HickeyとRobertsは、この言葉を以下から引用したとしている: Robinson, W.S., 1935, “Ecological correlations and the behavior of individuals(生態学的な相関と個人の行動),” Journal of the American Statistical Association, 30, 517-536.

日本語訳監修:溝口 徹(新宿溝口クリニック)