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コロナ感染し後遺症で1年半苦しみ回復するまで 52歳経営者の体験談

2024年1月に現状の状況を書き加えさせていただきました。
2024年1月の現状も是非お読みください。

皆様こんにちは、これが2つめの記事になります。

1つ目の記事は「コロナ後遺症で大量脱毛した髪が元に戻るまで 52歳経営者の体験談」という記事を書かせていただきました。ご興味がある方は是非そちらも目を通していただきましたら幸いです。

私は52歳の経営者です、名前は田中太郎とさせていただきます。

表題の通りコロナに感染し重症になり、その後コロナの後遺症にひどく苦しんだ経験がありあます。今でも完全に治ったわけではない気がしますが、後遺症ピーク時より鬱や倦怠感はかなり回復しました。

その辺りの体験記を書いてみようと思います。

ネットで「コロナ 後遺症」で検索すると、ものすごくたくさんの記事や情報がでてきますね。私と同じ様な苦しみを体験した方、または今でも何かしらの不調を抱えている方多いと思います。

この記事で同じ悩みをもっている方にいくばくかの勇気と希望の様な感情をもっていただけましたら嬉しいです。2023年の現状も書いていこうと思います。
※2024年1月に現状のご報告を書き足しました。

下記コロナで脱毛症の記事と同じ内容もありますがご容赦ください。

まずコロナ感染の経緯から

2021年5月12日、仕事の打ち合わせで五反田の取引先にお伺いさせていただきました。

仕事の予定は全てGoogleカレンダーに記録しておりますので、今でも日にち等は明確に書くことができます。そこでミーティングルームでの打合せ後、取引先の喫煙所にて、先方の喫煙メンバーと煙草を吸いました(私はその頃喫煙者でした)

その日は何事も無く帰社したのですが、数日後その取引先の社長から連絡がありました。

「田中さん、先日ミーティングしたメンバーがかなりの率でコロナになりました!

特に喫煙所に行ったメンバーは全員です!」

その頃コロナ感染はかなり他人事感があり、自社内でも1人も感染者がいなかったのでかなりビビりました。

「あれー俺はどうなるかな?」と思っておりましたら、そこから5日後の5月17日にいきなり熱が38度くらいまで上昇し、若干意識も朦朧としてきました。

これは完全にコロナにかかった!と思い、地元のお世話になっているお医者さんに行ったところ、検査の2日後「コロナ陽性」の連絡をいただきました。

コロナの他人事感がずばりコロナ当事者になった瞬間です。

コロナ感染その後

そこから正直かなり記憶が曖昧です。と言いますのも結論からお話すると、ほぼ半月ずっと39度前後の熱が下がらなかったのです。

そこからの行動を書きます。

5月17日、コロナ陽性を確認(たしかデルタ株というやつでしたね)

5月18日から23日まで自宅隔離

5月23日東京都から連絡が来て「私は大塚のアパホテルで隔離と決定した」とのこと。

5月24日に乗り合いタクシーが自宅前まで迎えにきてくれて、その日からアパホテルで

の生活が始まりました。しかしそこでずっと熱が下がらず、

5月30日に「重症患者」として大田区にある「東京都立荏原病院」というところに救急車で移動しました。その病院での記憶がすごく曖昧なのですが、ずっと口に酸素マスクを着けていた記憶があります。

6月6日東京都立荏原病院を退院しました。

記憶では退院するか?しないか?でお医者様とかなり話しあった記憶があります。

ここまでの大塚アパホテル様、東京都立荏原病院様、地元のお医者様、東京都の担当者様、自社の社員の皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました。

東京都立荏原病院では「私はかなり危険な状態まで行った」らしかったです。

コロナ治療後の家での生活と後遺症発生

そしてコロナ菌は無くなったにせよ、自宅での療養が始まりました。

2021年当時って「自分はコロナにかかった」と言い辛い時期がありましたよね。

その話をすると「会社閉鎖では?」とか「こっちの方面こないでください」とか、ある種病気差別?的な雰囲気があったのを感じました。

自宅そばの喫茶店に退院後お伺いしマスターに「コロナかかって入院してました」と言ったらマスターから「田中社長、すいません当分この喫茶店出入り禁止とさせてください、そちらの会社さんのメンバーもこの店こないでくださいとお伝えください、田中さんすぐ帰ってください」と笑顔から急にお顔がこわばり、そう言われた経験があります。

お伺いしたのコロナ完治後なんですけどね。

でもマスターのお気持ちもわかります。その当時「店員さんがコロナにかかった」とか「お客さんがコロナにかかった」とかでしたら、1~2週間くらい店を閉店し消毒とかでしたよね。

店の前に貼ってある「コロナ感染者発生」の張り紙があるたび、その店の話題やネットでの風評が絶えなかった気がします。

あと飲食店全般大変な売上減があった様ですし。

「コロナ感染の事あまり人に言えなかった」時期は一層滅入りました。

もちろん自社社員は私のコロナ感染がわかってからからすぐに、ある期間在宅仕事にしてもらい、発症していないのを完全に確認してからの出社としました。

又コロナ感染直後に、遡って3週間位の間私とお会いした方々にはコロナにかかった旨連絡いたしました。

それも何か自分が悪い事をした様でほんとに気が滅入りました。

幸い私のコロナ感染が原因の2次感染は無かった様です。それが救いでした。

療養期間中ですが仕事は休みとさせていただきました。経営者なのでよかったのですが、普通のビジネスマンでしたら会社辞めざる負えなかったと思います。

そのころ私抜きで誰も退職せず頑張ってくれた社員には感謝しかありません。

退院して病院から指定のタクシーで自宅にもどる途中なんか妙にイライラした気がしました。ですが長い期間自宅以外ですごしたので、その頃は「コロナ後遺症」など言葉もしりませんでしたし、まったく気にしませんでした。

退院したのでちょっとホッとして自宅にいたのですが、そこから地獄の「コロナ後遺症発症」が始まったのです。

このあたり、検索エンジンで「コロナ 後遺症 症状」とかで検索すると大量に情報がでてきます。ご興味のある方は是非調べてみてください。

病院からの退院後数日後でしょうか?下記の症状が私に一気に襲ってきました。

●ものすごい倦怠感、うつ的な症状

毎朝起床するごとに「今日こそ死にてー、今日こそ俺何かで死なないかな」「死ぬのは一瞬怖いけど早くそっちに行きたい」「何にもやるきねー」「ご飯食べるのもめんどくさい、全てがめんどくさい」というところまで1年以上の期間落ち続けました。

●味覚がほとんど無くなりました。

これは半月?位で復活しました。

●ものすごいイライラ感

何事も、歩道を通行しているおばあちゃんの歩き方にもなぜか腹を立てるくらいまで、ほぼ常時イライラしてました。回復した今考えるとその頃の心境が信じられません。

●ものすごい不安感

些細な事でもすごく不安になりました。

老後の心配、今生きている不安、今の自分の不安等々、今まで意識していなかったことも

毎日不安で不安で気が狂いそうになりました。

●記憶障害、暗記力の低下等々。

そういった症状はピーク時よりかなりよくなったと思いますが、若干今でも続いていると感じています。

●定期的な激しい動悸

突然心臓の鼓動が激しくなり、バクバクして歩くのも苦痛なくらいでした。

いつも突然来ました。これもかなり不安な症状でした。これは1年以上続きました。

●睡眠中のすごい寝汗

ものすごい寝汗をかくようになりました。朝ふとんが毎日汗でびっしょりでした。

コロナ感染前にはあまり感じたことがなかった症状でした。

●頭の毛の脱毛※これはちょっと期間が過ぎてからの発症です。

明らかに髪の毛が大量に抜けました。

※コロナ後遺症の髪の毛の脱毛については「コロナ後遺症で大量脱毛した髪が元に戻るまで 52歳経営者の体験談」という別記事として書きましたのでよろしければご覧ください。

コロナ後遺症で病院へ行く

上記の症状がいっきにやってきたので、会社には「当面働けないかもしれない」旨を伝えました。コロナ感染の回復後すぐ会社に行きましたら社員から花をいただいたのですが、それきりまた会社にはいかない日々が続きました。

あまりにも全て何かがおかしいので、コロナ感染を確認いただいた病院へ行きましたら先生から「これはコロナ感染の後遺症かもしれない」と伝えられました。

「コロナ感染の後遺症?」はじめて聞く言葉だったのでびっくりしました。

「せっかくコロナ治ったのに本当か!」と信じられない気持ちがしました。

先生からは「とにかく安静にしてください、精神面で大変よくない感じになりましたらまた来てください」「精神科を紹介することも可能です」と言われました。その頃まだコロナ後遺症の治療方法など無かったと記憶しています。現在はコロナ後遺症も研究され、それ専門の外来もできてきて治療方法もある様ですね。

尚、退院後すぐ病院へ行ったのはもう一つ理由があります。

私が隔離の為のアパホテルから移動した東京都立荏原病院入院時に先生から「田中さん、コロナ治療のために肝臓に負担をかける薬を使いますがよいですか?」と質問されました。

肝臓の健康度を表す値γ-GTPは、毎年の健康診断によると私は毎回100~120位でした。

γ-GTPの値は健康な肝臓の方は諸説ある様ですが50前後くらい?100を超えるとかなり意識しなくてはならない?様ですので、私はお酒も好きですしお医者さんからは脂肪肝の傾向と言われていたので、毎年の健康診断では多少意識してました。

ですが入院時は大変なことになっていたので「もちろん使ってください」とお話させていただきました。確かそれでいただいたのは飲み薬だった気がします。

ですので、退院した後自分のγ-GTPの値がその後どうなったのか?を知りたかったのです。

その病院にお伺い時にその事情も先生にお話しさせていただき、血液検査もしました。

血液検査も結果は2日後病院にお伺い時に結果の紙をいただけるとのこと。

そして数日後血液検査の紙をいただいたところ、γ-GTPの値が「430」でした。

※血液検査でγ-GTPの値が「430」のデータは無くしてしまいましたが、その半年くらい後のγ-GTPの値が「268」だったデータは残っていたのでここに写真残します。

γ-GTPが「268」の時のデータです
γ-GTPが「268」の時のデータです。「430」の時から半年位後の若干回復した時の数値です。

前述で書いた通りメンタルもかなりやられていた時でしたので、本当に落ち込みました。

今では考えられないですがその値を見て「いっそ死んでしまおうか?」ともよぎったのを覚えています。

ネットで調べる限り、γ-GTPの値が430というのはかなり危険な状態、とのことです。

そこで私は

「コロナ後遺症でのメンタル系との戦い、肝臓数値を下げる戦い」2つの問題と戦わなくてはならなくなったことを知りました。

後日その戦いは「髪の毛の脱毛との戦い」で3つの戦いになるのでした。

ですが今でこそ「3つの戦い」と明確に分析できますが、その当時は全部大きな1つの悩みに感じていましたし全てが絶望感の原因にもなり、今では想像もつかない落ちたメンタルだった気がします。

コロナ後遺症の日々

さて後遺症を抱えてのほとんど家の中で暮らす日々が始まりました。

「気晴らしに外へでて散歩する」気分には到底ならなかったです。

会社の取引先さんからたまに「会社に連絡したら体調すごく悪いとお聞きしました、大丈夫ですか?」等々LINE等でご連絡をいただきましたが、とにかく他人とコミュニケーションをとるのも億劫で、1つ何かを人に連絡するのも3日くらいかかりました。

そのうちLINEでもメールでも「ご心配すいません、コロナで重症になり今後遺症で苦しんでいます、また元気になりましたらご連絡させていただきます」等の定型文を作り、それをコピペして送りました。この動作さえ億劫で億劫でたまりませんでした。

電話いただいた方にも、全てショートメールでこの文章をお返ししました。

「他人と電話でお話する」なんてメンタルのハードルが高すぎて無理でした。

とにかくこの頃は終日家で絶望感を抱えながらひたすらベットで横たわっていました。

それまでの人生はどちらかというと前向きで比較的小さなことは気にしないほうだったので、重い鬱の症状などあまり理解できませんでしたが、今となっては本当によくわかります。

インターネットはたまに見ていましたが、得にFaceBookとTwitterは苦痛で見れませんでした。同業の皆様が変わらず元気に活躍している姿を見るのが苦痛で耐えられませんでした。

「死にたい」という感情との戦い

家のベットでゴロゴロしているうちに感情はますますひどくなり、毎朝起きると「あー死にたい」という感情が心を占拠しました。不眠症にはならずに夜は寝れたのですが、朝起きるのが恐怖でした。朝起床後のメンタルが一番悪いからです。

ですので夜就寝するのも怖くなってきました。

その感情から復活しよう!とかにはとてもとても行きつきませんでした。

この頃YouTubeやネット記事で「死ぬ方法」「楽に死ぬ」「死んだ後の世界」「自殺について」「霊はいるのか?」そんなワードでばかり検索して動画を見ていました。「死ぬのはやめよう!生きよう!」という感じの動画はとても見る気がせずスルーしました。

なんだか死ぬのが最大の解放だと思う様になってきました。

毎日毎日「朝起きる、死にたい、寝る」の繰り返しの毎日でした。

こ頃の心境はどうも文章には表現しづらいです。人間が生きている意味がまったく分かりませんでした。

寝る以外は単にご飯を食べる、トイレに行く、等だけの生活でした。

その頃メンタルの不調と同時に、髪の毛の脱毛をはっきり感じる様になってきました。

「コロナ後遺症の脱毛に関しまして」は是非こちらもお読みください。

尚肝臓のγ-GTPの値の心配もあり、まさに全てに絶望の日々が続きました。

この頃のメンタルは現在多少元気になった今振り返ると想像を絶します。

先日パキスタンの「釈迦苦行像」という像の写真を見ました。じつは高校生の頃実物が池袋のデパートに来日して展覧会を見に行き実物を見たことがあるのですが、その像の写真は改めてその当時の自分を見る様で涙がでました。

脱毛を止めようという決意から始まりました

その様な状態を過ごし、「死にたい」の感情はあるにせよ、時が経ちようやくそれ以外の考えができる様になってきました。

「メンタルの復活、肝臓のγ-GTP数値の対策、脱毛対策」のうち「脱毛からなんとかしよう」という心境になりました。脱毛は明らかに目に見える症状だったからかもしれません。

この思い付きが今思うと色々な事からの復活の第一歩でした。

そこからまずひたすら脱毛の勉強をしました。時間はありましたので毎日ひたすら主に動画やネット記事で「脱毛対策」系の動画を見続けました。

詳細は他の記事にあるので省略しますが、とにかくひたすらです。

そして下記をはじめました。

・湯しゃん

・サプリで「亜鉛」「マグネシウム」「ビタミンC」「ノコギリヤシエキス」を適量摂取する。

・朝夕タンパク質系のプロテインを飲む

・ココナッツ由来のMCTオイルという物を珈琲や紅茶に入れる

・煙草をやめる

・自宅の風呂に入るのを一切辞め、銭湯に行く。

・白髪染めをやめる

・リアップを使う

・AGAのクリニックに行きザガーロをいただく

もう一つの私の記事にある様に上記を一斉に始めたのですが、その中で「銭湯に行く、病院へ行く」必要がありますので外出する様にもなりました。

それも今思うと家から出る良いきっかけだったと思います。

何もしない寝るだけの生活に上記の毎日ルーチンが加わりました。

私は毎日何かをコツコツ続けるのは好きだったので実行は何にも苦痛はありませんでした。

今思うとまず上記のルーチンを生活に加えるのはメンタル的にもすごくよかった気がします。

結論を書きますが、髪の毛は上記の努力が功を奏したのかはわかりませんが、脱毛はその後止まり今は以前より髪が増えた?感じになりました。

肝臓のγ-GTP対策も始める決意

脱毛対策を開始後、肝臓の値の対策も始めました。

これもまず調査です。ひたすらひたすら肝臓についての情報を調べ、行きついたのが下記の行動でした。

●脂肪肝と言われていたので、まず体重自体を減らす

体重は元々80キロ位でしたが、コロナ後遺症の療養中に75キロまで落ちていました。

そこから12キロ減の63キロを目標としました。私の身長的には63キロで「ちょっと瘦せ型」の数値でしたので元々そんなに太った体重ではなかったですが痩せ型を目指すことにしました。脂肪肝対策はまず体重を減らすことの様でした。

●食べ物や飲み物の改善

今まで口にする物で健康要素なんてあまり考えてこなかったですが、これも決意しました。

●生活の改善

少しでも運動するとかです。

上記を決意し、実行に移しました。

【コロナ鬱の状況でのγ-GTP430の対策、ダイエットのスタート】

これも色々とルーチンを取り入れたので、何もしないで悶々と部屋にいて死にたいと考えるよりよっぽどよかったです。

まずダイエット方法として私は「糖質制限ダイエット」を選びました。

これは「炭水化物ダイエット」というやつですね。

実に世の中たくさんダイエット方法がある様でびっくりしました。

数あるダイエット方法の中からこれを選んだ理由は、速攻性がある様に感じたからです。

このダイエット法は大変な賛否がある様でしたが、ネットや動画では一部のお医者さんも推奨している様でした。

ですがこのダイエッ方も人によっては合う合わないがある様で、このダイエット方で体を壊した方もいるらしく、実行前にはかかりつけのお医者さん等へのご相談を強くお勧めいたします。

これも選んだ理由は、ネット記事やYouTubeです。

そして決意後下記を一斉に始めました。

●ごはん(米)、パン、麺類、お好み焼き類、を食べない(炭水化物、糖質の接種を最小限にする)

実行するのにかなり勇気がいりました。いわゆる主食を食べないのですから。

これは何か体調に不良がでたらすぐ辞めようと思ってました。

どうしても米が食べたいときは発芽玄米を食べました。

●良質な脂質を摂取する為に、ココナッツ由来のMCTオイルという物を珈琲や紅茶に入れる

この炭水化物ダイエットを実行するのにはおすすめらしかったからです。

これは髪にも良い記事をたくさん見ていたので脱毛対策と兼任でした。

●朝夕タンパク質系のプロテインを飲む

これも脱毛対策と兼任です。

●納豆、キムチ、梅干し、卵は毎日食べる

「糖質制限ダイエット」と検索すると推奨される食べ物です。

●チーズ、ブロッコリー、鳥のささ身、肉類、ナッツ類、等々をたくさん食べる

これも「糖質制限ダイエット」と検索すると推奨される食べ物です。

●果物とお菓子等甘い食べ物を控える(砂糖を控える)

これも「糖質制限ダイエット」と検索すると推奨される事柄です。

これが一番辛い我慢でした。

●ビタミンCを多く含んだ無糖の飲み物を毎日飲む

糖質制限ダイエットではビタミンCが欠乏することが多いそうでしたのでその対策です。

●野菜を毎日大量に食べる

もちろんお腹は減るので、食事の最初に野菜をたくさん食べました。「炭水化物を食べたい!」と強く思っても「まず野菜を食べよう、野菜を食べ終わったその後にまた炭水化物の事を考えよう」作戦でした。野菜を食べてもある程度お腹はいっぱいになる感覚があるため、

野菜を食べた後に炭水化物は「まあ食べなくてもよいかな?」の気持ちになりました。

この作戦はかなり功を奏しました。お菓子を食べたい時もこの作戦でした。

●お酒を完全に辞める

コロナにかかってからお酒は一切飲んでいませんでしたが、今後も辞めることを決意しました。

●寝る前は何も食べない。

これも最初は辛かったですね。半年くらいは辛かったです。

●無糖のリンゴ酢を毎日飲む

最初は美味しくなかったのですが、毎日飲む様になって美味しく感じてきましたね。

●運動する

まず軽いウォーキング、自転車運転をはじめました。のちにジムに入会し水泳も始めました。

今思うとこの運動こそがコロナ後遺症が改善される原因となった気がします。

●毎朝細かいデータがわかる体重計に乗り体重計る。

Bluetoothでスマホにデータ転送される体重計を購入し、毎日朝夕体重を計ることにしました。

γ-GTP430対策ダイエットの結果です

肝臓の為に上記ダイエットを始めて1年くらい、結果的に

元々80キロ前後

コロナ療養で75キロ

ダイエットの効果で62キロ。

まで到達しました。

コロナ前の80キロからは、18キロ痩せた、体重が落ちたわけです。

1年くらいかかりましたね。

62キロでちょっとダイエットは辞めました。62キロまで行くとこの頃普通にしていても「目まい」がすごくなったのです。これは体からの危険信号だと思い、体重は65キロ前後をキープすることに決めました。65キロくらいに体重を戻すとめまいも無くなりました。

65キロキープはコロナ後遺症が改善された今でも続いています。

ちょっと体重が増えてきたら糖質制限ダイエットの食事にする、65キロ以下に体重が減ってきたら何も考えずなんでも食べる。を繰り返すと体重キープできるもんですね。

そして最初の血液検査から1年後くらいで再度肝臓の値を調べるために血液検査、結果は

「γ-GTPの値は58!」でした。今までの人生で一番低い数値ではないでしょうか?

γ-GTPの値が「58」まで落ちた時の血液検査の結果です
γ-GTPの値が「58」まで落ちた時の血液検査の結果です

コロナの鬱で感情は回復してないにしろ、感動しました。

これで、「コロナ後遺症でのメンタル系との戦い、肝臓数値を下げる戦い、脱毛との戦い」

のうち、肝臓の戦いはいったん勝利し忘れることができたわけです。

コロナ鬱でのメンタル回復の戦い

さて上記の「脱毛対策」「γ-GTP対策」を実行しているうちに、このメンタルの戦いも実行する決心がつきました。さてこれもまずネットとYouTubeです。まずは勉強です。

この頃はメンタルもピーク時よりは多少回復基調だった気がします。

この多少のメンタル回復は、脱毛対策とγ-GTPの毎日対策のルーチン実行のおかげが大きかった気がします。

また鬱のメンタル等で調べぬいて実行した内容を下記に書きます。

※この内容も人によっては危険でしたり色々あると思いますので「全て皆さまにも効く」ということではないかと思います。あくまでも私の体験談だと考えてください。この辺りも実行をお考えでしたら是非、お医者さんに確認していただきたいです。

●メンタルに良さそうなサプリの接種

とりあえず色々ある中で、ギャバ(GABA)、ビタミンD、が特にメンタルに良さそうでしたので毎日飲む様にしました。

●運動

これはダイエット活動と兼用です

●朝なるべく早く起きて日光をあびる、そしてなるべく早寝する。睡眠時間を十分とる

朝の日光がビタミンDを増やす?とかの記事を見ての活動です。

●徐々に人と会う

●少しでも外出する

この頃少しづつですが会社に顔を出したりしました。

●単純なスマホゲームをやる

ブロック崩しゲーム画面
私がはまったスマホゲームの画面です。

これもネットでメンタルに良いという情報からです。

それまでスマホゲームなんてほぼやったことなかったですが、無料で単純なブロック崩し的なものをやりました。これは確かに気分転換になりました。

やりすぎて、16,729面もクリアしてしまいました。

●無理にでも笑ってみる、笑顔を作る

●「楽しい」とか「ありがとう」とか「幸せ」とか思ってなくても連続で声に出して唱える

●無理にでも色々感謝してみる、過去を色々思い出して感謝する

●「ありがとう」を入れてなるべくたくさんの人にメールやLINEをする

このあたりは、藁にもすがりたかったのでネットで見た情報とかの実行です。

YouTubeの「絶望ライン工」さんの動画にはなぜかものすごく救われました。

「死にたい」感情が薄れる方法が見つかりました

さて上記をコツコツ進めていたのですが、その中で自分的には革命と思われる方法論に気づきました。

毎日朝から「死にたい」感情に襲われるのですが、ズバリ「自分の体が疲れると死にたいとあまり思わなくなる」という現象でした。

それはウォーキングでの発見でした。

痩せるため、メンタルの為にウォーキングを始めたのですが、最初は5キロ程度で帰宅していたのですが、毎日歩いてるうちに一日のウォーキング距離がどんどん伸びていき、最終的には真夏でも40キロ程度歩ける様になってしまいました。

朝大抵10時頃に家を出て、18時~19時まで一日中東京を歩き回ったのです。

それで暑い日にウォーキング中、大汗をかいてフーフー呼吸している時

「あれ?今俺、死にたいと感じていない??」ことに気づいたのです。疲れがネガティブな感情を追い抜いた感がありました。そこから歩きながら自分のメンタルを意識する様にしたのですが、どうも体が極度に疲れると「あー死にたい」が間違いなく薄れるのです。

これはすごい発見でした。

ですので毎日朝起きると、「死にたい死にたい」が来る前に速攻で着替えて家を出るのです。

朝起きてサプリやプロテインを速攻で飲んでそのまま家を出ていました。そして歩き始めの時間は鬱っぽいのですが、1~2時間早歩きしているうちに疲れがくると、間違いなくメンタルの悪い負担が軽くなりました。

それを認識してから、毎日毎日かかさずウォーキングをする日々の連続でした。

雨の日も傘をさして歩きました。そのうち足の裏に血豆やらがたくさんできたり、足の爪が充血し爪10個全部真っ赤になってしまいましたが、折り畳みの杖を買って杖を使いながらでも毎日歩きました。

そこまでするのは、家で悶々とするより確実にメンタルが平和だからです。

メンタルの恐怖より、体の酷使の方がはるかに楽でした。

家で「死にたい」よりも大雨の中でも歩いた方がはるかにメンタルが楽だったのです。

台風っぽい日も雨合羽を着て歩きました。

真夏のものすごく暑い日でも「暑さで倒れて死ぬか?今日も歩き通すか?どっちでもいいや」的なメンタルで家をでて終日歩きました。

結果的に、これがメンタルの回復とダイエットにものすごくよかったのではないか?

と思います。ウォーキング様ありがとう!という感じです。

ウォーキングに慣れてきましたら、ちょっと高い自転車を購入してサイクリングにも挑戦しました。歩く日と自転車乗る日を交互にすると毎日歩くより特に足の裏の負担が減りました。最終的にサイクリングも1日60キロ前後乗る様になっていました。

今思うとウォーキングとサイクリングがコロナ後遺症のメンタルの部分の救世主だった気がします。そんな生活を1年前後繰り返し、どうやら家でも平常心を保つ位に回復していきました。

あとウォーキングをしながら音楽を聴くことにしました。最初は暗い曲調の音楽しか受け付けませんでしたが、徐々に明るい曲も聴く様に心がけました。

これも多分メンタル回復にはよかったと思います。

歩きながら音楽を聴き、感動する歌詞のフレーズ等があると号泣しながら歩いた記憶もあります。

回復への行動

そんなこんなで下記の行動も徐々に増やしていきました。

●社員と会う、たまに会社の会議に参加する

これも最初は人と話すのは喫茶店で30分前後が限界でした。人と話していると気持ち悪くなってしまうのです。ですがこれも回数をこなしているうちになんとか耐えられる様になってきました。

最初の頃、些細な社員のミスでもものすごく気になり、社員に当たり散らしていました。

本当に社員の皆様申し訳ございませんでした。

●社員以外の人と会う

たまーに喫茶店で取引先の社長さん等とお会いしましたが、ほんとに最初は苦痛でした。

これも回数で徐々に大丈夫になってきました。

●お酒を飲んでみる

体重も減りγ-GTPの値も激減したので、これも初期は永遠に禁酒を誓いましたが、

メンタルには多少良いかも?と思い挑戦しました。

最初は全く美味しくもなんともなかったです。

その他、映画を見たり読書をしたりラジオを聴いたり少しづつコロナ前の生活に戻す努力をしていきました。

そうこうしているうちに、もう一度コロナ(オミクロン)にかかる

最初のコロナ感染が2021年5月17日でしたが、2022年1月26日にまたコロナに感染しました。今回も熱がでて同じ病院に行きコロナ陽性を確認しました。

今回は東京都の指示で「自宅治療」とのことでした。

東京都から大きな段ボール2つ分の食料を送っていただき、それを食べながら外出しないで家にいました。どこで感染したか?は不明でした。

今回のコロナ感染はひたすら喉の痛みでした。人生で一番の喉の痛みを感じました。

息をするだけで辛かったです。

結局同年2月7日くらいまで自宅におり、その後は症状も軽くなりました。

喉以外は熱がでる程度で、とにかくその期間ウォーキングできなかったのが痛かったですが、お医者さんにコロナが治ったと確認いただいた後はまた歩き始めました。

この2度目のコロナ感染も私のメンタル等になんらかのよくない影響はあったと思いますが、「歩いて疲れれば弱若干気持ちよくなる」技が開発されていたので、それで乗り切った感があります

そしてコロナ後遺症からの復活

上記の様な生活を最近まで繰り返しました。

今や最初のコロナ感染からそろそろ2年が経ちそうです。

結果、内容はかなり端折りますが今のメンタルは前よりかなり良くなりました。

ただし、かなり過敏な感じはまだあります。「過敏に喜ぶ」は無いのですが、ストレスや自分の嫌なことはどうも以前より過敏に感じてしまう感があります。

ですがまあ日常生活は普通に過ごせる様になりました。

ここまでくるのに長い期間がかかりましたね。

今思うと、

こんな社長の会社でも誰も辞めずに頑張ってくれた社員の皆様

肉親の皆様

取引先、友人の皆様

その他ご心配いただいた方、回復に協力いただいた皆様にはものすごく感謝しています。

本当にありがとうございました。

コロナ後遺症で鬱の間、特にすっぽり無くなった感情があります。

それは感謝の心でした。

コロナ鬱の間、自分を取り巻く皆様に対してなぜか感謝を感じることがなく、ピーク時には

「人間はうざったい」感情の方が支配していました。

それが自分のメンタルが回復していく中、感謝の心が徐々に復活していくのを感じました。

ほんとに恐ろしい病気でした。

かなり回復した後社員3人とお酒を飲んだのですが、回復の兆しを社員に説明したとところ一人の社員が「社長!よかったですね!」と言い涙を流してくれました。

この涙は一生忘れません。

2023年4月の現状

上記を超えて、今ではある程度働いています。

生活もかなり日常が戻ってきました。

コロナ後遺症っぽい症状として、下記が多少残っている気がします。

・記憶力の若干の低下

現状の記憶より、コロナ感染以前の記憶が若干思い出せないことが多いと感じます。

元々記憶力はよい方だったと思いますが「そんなことあったっけ?」という機会が多くなった気がします。

・敏感症を若干感じます。

コロナ前より特にネガティブなことは多少過敏に感じてしまう気がします。

・決断力の若干の低下

年のせいかもしれませんが、コロナ前は今より何事も決断が早かった気がします。

以上となりますが、この文章がどなたかにちょっとでも勇気と希望を感じていただきましたら幸いです。

2024年1月の現状

さてこの記事を書いてから8か月経ちました。
コロナの後遺症ですごく悩んでいた頃からは2年以上経っています。

実はこの記事をここに掲載いただいたのですが、この記事に対して
「気持ちわかります 私も苦しみました」
「読んで涙が出ました」
「勇気をいただきました」
等々、様々なご連絡をいただきました。
すごく嬉しかったです、ありがとうございます。

今はコロナ前より仕事の量も減らし、落ち着いた生活をしています。
会社はおかげさまで順調なのでそのあたりも安心しています。

その後のコロナ後遺症の状態はと言うと、実はもうすっかり「普通の状態」に戻りました。
コロナの後遺症と思われる感覚は一切ありません。

コロナが発症したのが2021年5月で後遺症になったのが直後だとしてもう2年半が経ちましたので、
約2年半くらいで「コロナ後遺症が完治した」と言えます。

この間本当に色々な事がありました。
コロナ後遺症の期間に過ごした日々を考えると、今こうして穏やかに過ごしているのがなんだか信じられません。

本当に周りの方々、肉親、会社の社員の方々、取引先の皆様には深く深く感謝しております。
本当にありがとうございます。
周りの方々からは「今だから言うけど~~」と色々お話いただくことが多く、
あの当時如何に私に気を使っていただいていたか分かりました。
やはり人間は一人で生きているのではないことがよくわかりました。

ネットを見ると、未だにコロナ後遺症で悩んでいる方もいらっしゃる様です。
大変恐縮な言い方ですが、この体験談が今後も皆様の何かのヒントや勇気に繋がっていただくと嬉しいです。

以上となります。
皆様の健康をお祈りしております。