まず、脳科学の立場から還元主義に異を唱えた1人として、スタンフォード大学教授をつとめたカール・プリブラムについてみていきたいと思います。プリブラムは脳のホログラフィー理論で知られる大脳生理学者ですが、元来このホログラフィーは、三次元の映像を表出させる技術を指します。
折れない心身を育む~レジリエンス医学入門~
CASE5 心身論の変遷と現代西洋医学の問題(その③)
前回は、心身二元論的な考え方に対する、それぞれ異なる医学領域からの反証のうち、脳科学の立場からの問題提起について述べました。その中で、現代脳科学の還元主義的な考え方は、「心=(体の一部としての)脳」と捉えることから、形を変えた心身一元論とみなすことができること、しかしそれは、古よりのアニミズム的心身一元論とは明らかに一線を画するもので、「唯脳論」とでも言うべき考え方であることについて言及しました。
心身二元論的な考え方に対する脳神経科学からの反証は、このような変遷を経て、還元主義的心身一元論、すなわち唯脳論への疑問となっていきましたが、この流れは、これまでみてきた医学各領域からの反証のうち、最もドラマティックな展開を辿ることになります。
脳のホログラフィー理論とは
例えば、皆さんも娯楽施設のアトラクションなどで立体的な映像をご覧になったことがあるかと思います。厳密に言えば、それらの多くはホログラフィーではなく「ホログラフィー的なもの」なのですが、大まかなイメージはしやすいと思います。ホログラフィーでは、「ホログラム」と呼ばれる記録媒体に情報が記録されますが、これは通常の光学的写真でのフィルムに相当するものになります。このホログラムには、対象となる被写体の光学的な「全情報」がフーリエ変換(※1)されて、レーザー光線の干渉縞として記録されますが、実はホログラムを単に観察しても、そこに元の被写体の姿を見いだすことはできません。ホログラムに特殊なレーザー光線を照射して初めて、干渉縞にたたみ込むように記録されていた元の被写体の姿が、三次元的な像として浮かび上がってくるわけです。このようにホログラフィーは、「部分が全体の情報を反映する」、言い換えれば、「部分には全体の情報が内包されている」という極めて特異な性質を持つわけですが、プリブラムはこのホログラフィーの原理に着想を得て、人間の脳に関する大胆な仮説を立てました。それが「脳のホログラフィー理論」と呼ばれるものです。
プリブラムは、視覚情報の空間周波数分析という数学的手法を用いて、「脳の全体にホログラフィー的にたたみ込まれるような特殊な記憶が存在する」ということを確認しました。それはつまり、脳のある特定の部位に特定の記憶が蓄えられているわけではないこと、すなわち脳の機能は還元主義的な考え方だけでは説明がつかないことを意味します。
最終的に、プリブラムは宇宙全体がホログラフィー的な構造になっていると考えるに至り、これまで科学的説明が不可能だった神秘的な現象、例えば超常現象やシンクロニシティ(※2)なども、ホログラフィーの観点からは説明できると語りました。
劇的なペンフィールドの結論
さて、ここでもう一人、脳機能局在論から連なる還元主義に異を唱えた人物を紹介しましょう。それはなんと、脳機能局在論の生みの親、他ならぬペンフィールド自身です。後年、ペンフィールドは海馬と意識の研究に着手します。そして、「意識の流れの内容は脳に記録されるが、その記録を見守りながら、かつ同時に命令を出すのは心であって、脳ではない」、つまり心と脳は別のものであるという考えに至り、次第に輪廻転生を信じるようになったと言われます。ペンフィールドは、晩年の著書で以下のように述べています。「一元論にしたがえば、心は脳の働きに過ぎないのだから、認められなくなった時には存在していないことになる。心は最高位の脳機構が働きを始めるたびに作り直されるのである。では二元論、すなわち心はそれ自体1つの基本要素であるという説にしたがえば、どうなるだろうか。この説によれば、心は、霊とか魂とか呼び方はいろいろあろうが、実態を備えており、連続して存在すると考えられる。したがって、心は脳との連絡が切れると沈黙はするが、依然として存在していることになる。」(※3より引用)かつて脳機能局在論を提唱し、心は脳の機能ですべて説明できると確信していたペンフィールドは、晩年になってまったく反対の結論に至ったのです。最もドラマティックな展開を辿った、と申し上げた意味がおわかりいただけたでしょうか。ペンフィールドやプリブラムといった脳科学の権威が導き出した結論は、他の脳科学者たちに大きな衝撃を与えましたが、彼らの主張はデカルト的な心身二元論から出発し、いわば還元主義的心身一元論の洗礼を受けたことで見いだされた、「心と体(脳)は密接に関係しているものの、別のものである」と考える新しい心身二元論で、こうした考え方は「相関的心身二元論」と呼ばれます。
ではここで、心と体は別のものでありながら密接に関係するならば、その関係性を保っているもの、心と体を繋いでいるものは何でしょうか。ペンフィールドやプリブラムはその存在について特に言及していませんが、私はこれまで合気系武術に長年携わってきた経験から、心と体を繋いでいるのは、いわゆる「氣」だと考えています。氣については、残念ながら科学的な方法で存在が証明されていませんので、これはあくまでも私見にはなりますが、いずれ回を改めて述べたいと思います。
三位一体の人間観の意義
さて、前掲のペンフィールドの文章を注意深く読んでみると、ある重要なことに気づきます。それは、ペンフィールドは心と魂・霊を明確に区別していないこと、そしてペンフィールドが文中で心と呼んでいるのは、ボディ・マインド・スピリット三位一体の人間観と照らし合わせた場合には、スピリットに近い概念であることです。
本連載第2回で、WHO憲章健康の定義・改正案について紹介した際に、スピリットの日本語訳はまだ定まっていないという話をしました。日本語での「心」は、英語では「mind」「heart」「soul」「spirit」など多様な言い回しで表現されます。これだけみると、英語ではこれらが厳密に区別されているように思えますが、実は「mind」と「soul・spirit」との間には明確な線引きがなされているものの、「soul」と「spirit」との区別は明確ではありません。つまり、心・魂・霊・精神については、依然として日本語同様に曖昧なところがあるわけです。そしてこうした曖昧さは、日本語と英語に限ったことではなく、他の言語にも共通しているようなのです。その理由としては、これらの概念がいずれも測定できないものであること、そして、そもそも人類が、これまで人間の構成について明確な捉え方・人間観を持ってこなかったことが挙げられます。繰り返しになりますが、これらは目に見えず測定もできないことから、それらを定義することはいささか乱暴かもしれません。しかし、皆さんもよくご存じの「病は気から」という言葉の本当の意味は、心身を繋ぐ何らかの非物質的な身体構成要素を想定しないことには説明がつきません。
逆に、そのような要素を想定することによって、人間において観察される生命現象や人を取り巻く環境との関係性が、ある程度整合性を持って説明できるようになります。私は、現代西洋医学の最大の問題点は、測定できないという理由で非物質的な身体構成要素を否定しているところにあると考えています。
以上の理由から、本連載では便宜的にボディ・マインド・スピリット三位一体の人間観を踏襲し、次回以降、そのそれぞれに対してレジリエンスを高める方法を各論として紹介していきたいと思います。
※1 時間関数を周波数関数へ置き換える手法
※2 カール・グスタフ・ユングが提唱した理論で、因果関係のない2つの出来事が、偶然とは思えないかたちで同時に起きること。共時性とも訳される。
※3 ワイルダー・ペンフィールド著「脳と心の神秘」(法政大学出版局)
※本記事は「統合医療でがんに克つ」(株式会社クリピュア刊)にて掲載された松村浩道先生執筆の「折れない心身を育む」より許可を得た上で転載しております。
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